箱入りワガママ公爵令嬢は誕生日プレゼントに貧乏貴族を所望します
08 同じ気持ちならいいのに
・・◆
同居生活は残り1週間。
今夜は2人で出かけていた。2人が共に過ごす時間は午前がほとんどだったから夜は新鮮だ。
行き先は、先日ピクニックだとシエナが喜んだ何もない原っぱだ。
田舎にいる間に何かしたいことは?というエストの問いにシエナは星が見たいと答えたのだ。
あまり遠くに行くわけにもいかないし、自宅の近くではあるがそれでシエナは満足だった。
大きめの布を敷き、2人でそのまま寝転んで、星を見上げた。
「芝生とはいえ、ゴツゴツしない?」
「思ったより快適ではないですね。小説を読んでこういうの憧れていたんですが。」
それでも、小説で読む以上のものが空にはあった。
夜空に煌めく星たちは無数に輝いていて、何もない原っぱに2人寝転んでいると、2人だけの宇宙みたいだ。
エストもシエナも何も語らず星を眺めていた。
あと1週間で、この宝石みたいな日々が終わってしまう。
そして、あと少しでどこかの誰かと結婚して、良き夫人として生きていく。
もう泥だらけになんてなることはない。ドレスで着飾って微笑んでお人形のように過ごすのだ、
最後に恋をしたい、というワガママは叶った。
恋だなんて知らないけど、この気持ちはやっぱり恋だと思う。
空を見たかったのは本当だけど、この夜をエストと一緒に過ごしたかっただけなのだ。
恋を知ってしまって、これから誰かの妻となれるのだろうか。
お人形に戻らないといけないけれど。
たくさん生まれた感情を、なかったことにできるのだろうか。
公爵令嬢だなんてどうでもいい。エストと2人、一緒に魔法の勉強をして午後は芝生に寝転んだり、2人で暮らすならお料理やお掃除も必要かしら。時々街に出かけて買い食いをして……それから……。
すべての地位を捨てて、この夜に溶けてしまえたら、連れ出してくれたら。
でも、それこそワガママだ。すべて捨てていいのはシエナだけだ。
エストには夢がある。
魔力を持たない人にも、この国の誰でも魔法が使えるように。この夢を叶えるためには国との協力が不可欠で。
公爵令嬢のシエナを連れて逃げた途端、彼の夢は潰えることになる。
「あと1週間か。」
空を見上げるエストがぽつりとつぶやいた。隣で寝転ぶエストを見ると、エストもこちらを向いた、目が合う。
「エスト様の瞳、夜空みたい。」
「俺の瞳が?」
「ええ。」
出会ったときは暗闇のような漆黒の瞳。シエナを映したその瞳は夜空のようだった。キラキラ輝くその星は、魔法について話しているときの瞳だ。
また、自惚れてしまいそうになる。
「この瞳もこの髪もきれいなんて言う人はいないよ。」
エストとシエナの顔の距離は30センチほどだ。柔らかな黒い髪に触れてみたい。
我慢できずにシエナは彼の髪の毛を掬っていた。
エストは嫌がることもせずにくすぐったそうに、気持ちよさそうな猫のように目を閉じた。
「柔らかくてきれいですよ。」
「君の髪もね。」
エストが手を伸ばしてきて、シエナも瞳を閉じた。さらさらと髪が揺れる。
目を開けると、エストの夜空の瞳と目があった。
キラキラが閉じ込められている。キラキラの中にうつる自分の顔。
「エスト様と私の気持ちが同じならいいのに。」
「同じ気持ち…?」
心の声におさめるつもりが口に出ていた。あっと思った頃には遅い。
しかしエストは深い意味に取らなかったのだろう。
「俺も寂しくなるけどね。」とさらりと言った。
シエナは本物の夜空をまた見上げた。お父様に正直に話してみよう、エストとの結婚は望めなくても。
魔法学校に通ってみたい、フリエル領で働きたい、王都以外で生活をしたい。
どれも到底叶わないワガママだ。でも1粒でも可能性があるのなら、諦められそうにない。
もしどれも却下されたなら1人で逃げてしまおうか。
エストの側にいられなくても、他の誰かと結婚してエストへの気持ちをなかったことにする方が嫌だった。
・・♠
「うーん。」
夜空を見た後、自室にて。エストはベッドで唸っていた。
自分の髪の毛に触れる。シエナが先ほどこの髪の毛を掬った。
こんな真っ黒の髪をきれいだと言うのは彼女くらいだろう。
シエナの髪は暗闇の中でも透き通っていた。指で触ると溶けてしまうかと思うくらい。
そして、彼女自身も闇に溶けてしまいそうに、儚かった。
30センチと近づいた距離は、また石鹸の香りがした。
先日のように熱を確かめたくて、瞳を閉じたシエナをそのまま腕の中に引っ張り込みたかった。
腕の中に納まった彼女はまた赤くなるのだろうか。
そんなことを考えては、違う、これは純粋な欲求心だ。魔法生物の観察だ。と言い訳をした。
「気持ちが同じならいいのに、ってどういうことだろうか。」
ふと思い出して呟いてみると、心臓が早鐘を打った。
もしかして、シエナは俺と同じ気持ちなんだろうか。言い訳ばかりしていたけど、素直に見つめてみるとこの気持ちは明白だった。
「でも彼女は公爵令嬢だ、釣り合わない。……いや違うな。」
シエナが王都に帰る日がくる、とずっと思っていた。あと1週間だけだと。
魔法を教えることが主になっていてすっかり頭から抜け落ちていたが、…元々は「シエナと結婚してほしい」と言われている。
そう、本来の目的は彼女と恋をして結婚することだったはずだ。
ティルヴァーン公爵は、彼女が田舎に馴染むはずないと思って送り出したし、父とエストも同様に思っていたから「結婚」という選択肢をすっかり忘れていた。
貴族というだけで誰も彼も却下していたと聞くが、俺が貴族だと打ち明けても彼女は受け入れてくれるのではないだろうか。
それとも嘘をついていたことを幻滅するだろうか。
いや、シエナはそんなこと言わないな。
エストはシエナのことをもうワガママ公爵令嬢だと思っていない、彼女の性格はよく理解していた。
「そうだ、きっと同じ気持ちだ。」
言葉に出してみると、そうに違いないと思えてくる。
叫びだしたい気持ちが込み上げてきた。そうか、シエナは帰らなくてもいいんだ…!
一緒に魔法の勉強や研究をして、仕事の合間に彼女が芝生で寝転ぶのを見て、時々街に出かけて買い食いをする。
そして、シエナは……妻になるわけだから、抱きしめたっていい。
踊りだしたくなるほどいい気分だった。
貴族の女性なんて誰も同じだ、結婚なんてしたくないとあれほど思っていたのに。
気持ちが高まって眠れそうになかったが、明日魔法講座の後に散歩に誘って、打ち明けてみよう。
きっと彼女は今までみたいに嬉しい!を伝えてくれるだろう。
シエナの喜ぶ顔を夢見て、エストは瞳を閉じた。
・・
朝、目覚めると屋敷の中がやけに騒々しい。何かあったのだろうか。まだ時刻は8時だが。
目をこすりながら不思議に思っていると、激しいノックと同時にグレアムが入ってきた。
「どうしたの父さん。」
グレアムは一目でわかるほど焦っている。
「すぐに支度をしなさいエスト。ティルヴァーン公爵がいらっしゃった。」
「なんだって…!?」
寝ぼけて頭をひねっていたエストは一瞬で目が覚めた。慌てて起き上がる。
「シエナ嬢と話があるらしく、今応接間にいらっしゃる。
なぜお越しになったのかわからないが、とりあえず私も対応してくるから、エストも準備でき次第おりてきて。」
「わかった。」
突然ティルヴァーン公爵の来訪、嫌な予感しかしない。
嫌な予感を振り払い、エストはすぐに支度を始めた。