初恋の再会は金木犀の香り
 翌日、碧は両親に、友達と出かけると告げて家を出た。

 待ち合わせの場所に向かうと、修一はすでに来ていた。促されて車に乗り込む。横顔が冴えないように感じ、不安を覚えた。

(容態がおもわしくないのかな。まだ意識が戻らないみたいだし)

 黙りこむ碧に修一も気づいたのか、慌てて言い訳をした。

「ちょっと頭の痛いことがあって……あ、父の病状のことじゃないんだ。父は小康状態だから、身内がなにかできるってこともなくて、交代で様子を見に行くくらいなんだ。ごめん、つまらないよね、こんな話」

「うぅん、気にしないで。私、沈黙もそんなに嫌じゃないから」
「そうなの?」

「えぇ。私の両親、揃って官僚なの。いろいろ難しい案件を抱えていて、家でも考え込んでいることが多くてね。父が黙り込んでいる時、母は横にいるのに話しかけることもなくて、タイミングを見計らってお茶を出したり、コーヒーを出したりしているの。母が黙り込んでる時は、父が同じことをする。子どもの頃はつまらなかったけど、両親は沈黙を共有することで同じ空気を感じているのだってわかって、そこから寄り添うって素敵だと思い始めたの」

「…………」

「静かにしていたいけど、傍にもいたい……そういうことってあると思う。話したくない時に無理に話をするって苦痛だし、気を使わずに一緒にいられるって幸せだと思う。だから矢島君も気にしないで」

「優しいね、碧は」

 名前で呼ばれ、碧は照れ臭そうにやや視線を下げた。

「そんなふうに言ってもらえて嬉しいよ。嬉しいついでにもう一つ希望。矢島君じゃなく、修一って呼んでもらえたら、もっと嬉しいけど」
「あ! そうだったね。ごめんなさい。これからは、その、呼ぶから。えっと、しゅ、修一君」

 修一は一瞬顔を碧に向けて微笑み、またすぐに正面を見た。
 車は一号線を走り続け、やがて相模湾にやってきた。

「うわっ、綺麗」
「やっぱり海はいいね」

 水面が光を受けてキラキラと輝く様子は美しい。遠くには大小の船が浮かび、近くではサーファーたちの姿が見える。碧は窓越しにのどかで優美な景色を見つめた。

 江の島を回り、海を臨みながらランチを取る。
 その後、鎌倉に行って観光名所を歩いた。
 夜はガイドブックで紹介されている人気の割烹で和食を堪能する。
 楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 東京へ向けて走る車の中、碧ははしゃいだ上に満腹で、不覚にも寝てしまった。次に目が覚めた時、車は止まっていた。

「あっ。私、寝ちゃったのね。ごめんなさいっ」

 修一は笑顔を向けたが、なんとなく緊張している様子だ。碧は車がどこに止まっているのか窓の外を覗いた。ここがサービスエリアだとわかると、ますます申し訳なく思え、再び謝った。

「いいんだ、気にしないで。碧のせいじゃない。その、僕がこのまま帰るのが嫌で……初デートでこんなこと言うのはよくないってわかっているんだけど」
「修一君?」
「碧、もうしばらく一緒にいたい」

 その言葉の意味がなにを示しているのかわからないほど子どもではない。碧の心臓は高鳴った。

 一緒にいたい――それは碧とて同じだ。

「あ、あの、家に電話する。上手く言うから」

 修一の返事も待たず電話をかけた。そして出た母に、実は鎌倉に来ていて、泊まっていこうということになったと説明する。今日は会社の友達と出かけていることになっているので、母は疑わずに了解した。罪悪感が湧くものの、修一と過ごしたいという気持ちのほうが遥かに強かった。

「嘘をつかせてごめん」
「いいの。子どもじゃないもの。それよりも修一君と一緒にいたいから」

 修一は微笑んで頷くと、エンジンをかけ、アクセルを踏んだ。
 それから数十分後、車は高速道路沿いのホテルの駐車場に滑り込んでいた。


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