初恋の再会は金木犀の香り
 週明け、出勤すると社長室から飯田が出てきた。

「おはようございます」
「あ、久保田さん、おはよう」

 碧は総務部へ戻ろうとする飯田の背を見送ると、社長室の扉を開けた。

「おはようございます」

 にこやかに挨拶をして会釈をする。だがいつもすぐに返ってくる修一の挨拶がなかった。

 修一は無言で碧を見つめてくる。漂う空気がいつもと違う。それよりも昨日の昼過ぎに別れた時とまったく様子が違っている。

「あ、の」
「あぁ、おはよう」

 無感情な声で返され、碧は言葉を失った。対して修一はその後なにも言わず、パソコンに視線を向けていた。

(どうしたの? なにか、あったの? 昨日はあんなに……)

 豹変ぶりに動揺しつつも席につく。

 修一はわざと碧を見ないようにしているのではと思うほど、態度がぎこちなく感じられた。碧は居たたまれない気持ちを抱きながら自分の仕事に集中しようとした。

 息苦しく感じるほどの静寂。修一が叩くキーボードの音だけが響く。話しかけることもできず、碧は自分の仕事を続けた。

 昼を示すメロディが鳴っても修一はなにも言わない。「失礼します」と声をかけ、碧は社長室をあとにし、社員食堂で遙と落ちあった。

「碧? 顔色悪いよ? どうしたの?」

 遙は碧の顔を見るなり尋ねた。

「顔色? そんなことないけど」

 笑ってみせるが口元が引き攣っていることは自分でもよくわかる。それでも遥に動揺を気づかれないよう心がけた。

「ねぇ、デート、どうだった?」

 やはり聞いてきた。碧は用意していた答えを口にした。

「楽しかったわよ、矢島君、ぜんぜん印象変わってなくて。小学校の頃の話、いっぱいしたし」
「それだけ?」
「それだけって?」
「だから、つきあうことになったんだから、いろいろ大人の関係ってのもあるでしょ?」
「遙、金曜日にその話が出て、翌日デートだったのよ。遙が期待しているような展開なんてないに決まっているじゃない。早すぎるわよ」
「そうかな?」
「そうよ。それに私はゆっくり時間をかけて距離を縮めたいから」

 遙は「ふぅん」とつまらなさそうな返事をした。

「まぁ、確かにそう言われたら、そうかもね。金曜の土曜じゃ当然か」
「そうよ」

 嘘をつくのは忍びないと思いながらも、碧は言わずにおいた。

 午前中の、あの雰囲気が碧に言い様のない不安を与えていた。

 それに結婚が決まった遥に対しても思うところがある。純粋に友達として喜んでいることは間違いない。そう誓えるし、素直に羨ましいと思っている。妬ましいなどのネガティブな気持ちは抱いていない。

 しかしながら、そんな幸せそうな遙を目の前にして、手に入れた自分の幸せがわずか数日、たった一回のデートをしただけで不安を感じる状況だなど言いたくはなかった。

 もしかしたら体を許したからもう不要だ、などと思われているのではないか? そんな恐怖にも似た不安を抱いているなど悟られたくはない。午前中のことが単なる考えすぎだと思えるまで話したくなかった。

 だがランチタイムが過ぎて午後になっても、修一の様子は変わらなかった。碧は修一の急変ぶりの原因が自分にあるのだとようやく感じた。

(いったい、昨日別れてから今朝までになにがあったの? 私、修一君になにをしたっていうの?)


< 12 / 17 >

この作品をシェア

pagetop