初恋の再会は金木犀の香り
その後、修一のスケジュールは大変な状態になった。
ただでさえ新しい職場、慣れない仕事で大忙しなのに、病院と会社を行ったり来たりで碧とは話をする間もなかった。
碧は誤解を解きたいと願いつつも、優先順位を考えると自分が下なのは当然だと思い、ただ黙ってサポートに徹していた。
矢島の容態はそれほど大きな変化はなかったが、意識を取り戻し、人の話は理解できている様子だった。ただ話をするには至らず、家族が面会を断っているという状況だった。
碧の様子を心配する遥に本当のことは言えなかった。
何度も尋ねられたものの、心配は修一の激務と矢島の容態だと言い訳し、修一との仲を素直に語ることはなかった。
それはもちろん心配をさせたくないという気持ちもあるが、なにより結婚が決まって幸せそうな遙にこの惨めな現実を知られたくなかったからだ。
告白されて交際を始めることになったにもかかわらず、修一に婚約者がいたこと、二股の疑惑をもたれて関係が悪化したこと、破局に直面していることを語るのは辛かった。
週末のデートで関係を持ったことを話さなかったことが救いとさえ思えた。
そんな慌ただしく辛い一週間が過ぎ、週末に至った。
「碧ちゃん、スマホが鳴っているわよ」
母に言われてバイブ音に気づく。相手が修一だとわかると、慌ててONボタンをタップした。
「もしもし!」
『碧? 今日、午後から予定ある?』
「午後? うぅん、ないけど」
『ではちょっと時間もらえないかな? 父さんに会ってほしいんだ』
「えっ!」
『詳しい説明は車の中でする。二時に迎えに行くから。頼むよ』
「はい!」
時計を確認すると一時だった。
慌てて外出の準備を整える。落ち着いたベージュのノーカラージャケットに深いブラウンのワンピース。髪はトップとサイドを後ろでまとめて清楚に見えるよう心がける。メイクもいつも以上のナチュラルメイクだ。
官舎の出入り口から少し離れたところで待っていると、白のセダンがやってきて目の前で止まった。そのまま乗り込み、シートベルトを締める。
「急にごめんよ。迷惑じゃなかった?」
「うぅん、週末は基本、暇だから」
笑いを取ろうとおどけて言ってみたが、なんとなく声が震えているような気がして、言ってから情けなくなった。
案の定、修一は笑っていない。気まずくなって碧は俯いた。
「昨夜、飯田部長から謝られた。悪いのは僕だ。碧も、飯田部長も悪くない。みんな相手を気遣う優しい人ばかりだ。父は……人を見る目があるんだと思った。厳しいばかりで、父親らしいことなど何一つしてもらった記憶がない。家族で旅行に行ったこともない。僕は高校を出たら逃げるようにアメリカへ行った。今は同じことを妹がしてるよ。あいつは帰ってこないつもりのようだ。今回のことも連絡したが、帰国する様子もない」
「…………」
「だけど会社に入って、仕事をして、ここのスタッフが会社を思って、真面目に一生懸命頑張っている姿を見て、父が従業員とその家族を守るため、客に満足してもらうため、毎日必死だったんだと思い知らされた。和美さんの件は誠意をもって謝罪して、わかってもらおうと思っている。碧にも、黙って内々に解決しようとしたことを心から謝る。ひどいことを言って傷つけたことも反省している。だからもう一度チャンスを貰えないだろうか?」
碧は顔を上げ、修一の横顔を食い入るように見つめた。
「再会は本当に嬉しかったんだ。碧に会って、和美さんとは結婚できないと思った。これだけは譲れないって思ったんだ。どんなに迷惑をかけて、傷つけても、引けないって。だから、もう一度お願いしたい。このまま僕との交際を続けてほしい。至らないところは努力でカバーする。きっと碧を幸せにするから」
「修一君……私はずっと修一君が好きだったし、金木犀の香りがするこの季節、毎年思いだしていたわ。私を好きだと言ってくれる限り、ついていきたいと思ってる」
「本当に?」
「嘘はつかない。だってこの前ついたら、とんでもないことになったもの。危うく大切な人を失うところだった。もう嘘はつかない」
修一の秀麗な顔に笑みが浮かんだ。
「最初、父に破談のことを言ったら、ものすごく怒った目をしたんだ。話ができたら、きっと頭ごなしに怒鳴りつけられていたと思う。でも、碧のことを話したら、急に雰囲気が変わってね。最初は驚いた様子だったけど、話し終えたら嬉しそうな目で僕を見つめていた。父も碧のことは気に入っているみたいだ」
「えー!」
「本当だよ。だから今日、会ってほしいと思ったんだ。きちんと紹介したくてね」
車は病院の駐車場に滑り込んだ。一番奥の端が空いていて、修一はそこに止めた。サイドブレーキを引くと、碧の名前を呼んで手招きする。
「なに?」
顔を寄せると、いきなり唇が重なった。
「修一君!」
「僕の起こしたトラブルはきっと解決する。信じてほしい。碧、好きだ」
真剣なまなざし。見つめる修一に、熱いものが込み上げてくる。
「私もっ。私も好き」
修一が碧の背に片方の腕を回し、もう一度唇を重ねた。
碧は唇に想いを込め、そのキスを受け入れた。
ゆっくりと二人の顔が離れる。
「行こうか」
「はい」
車から降り、二人は矢島のいる病室へ向かった。
ただでさえ新しい職場、慣れない仕事で大忙しなのに、病院と会社を行ったり来たりで碧とは話をする間もなかった。
碧は誤解を解きたいと願いつつも、優先順位を考えると自分が下なのは当然だと思い、ただ黙ってサポートに徹していた。
矢島の容態はそれほど大きな変化はなかったが、意識を取り戻し、人の話は理解できている様子だった。ただ話をするには至らず、家族が面会を断っているという状況だった。
碧の様子を心配する遥に本当のことは言えなかった。
何度も尋ねられたものの、心配は修一の激務と矢島の容態だと言い訳し、修一との仲を素直に語ることはなかった。
それはもちろん心配をさせたくないという気持ちもあるが、なにより結婚が決まって幸せそうな遙にこの惨めな現実を知られたくなかったからだ。
告白されて交際を始めることになったにもかかわらず、修一に婚約者がいたこと、二股の疑惑をもたれて関係が悪化したこと、破局に直面していることを語るのは辛かった。
週末のデートで関係を持ったことを話さなかったことが救いとさえ思えた。
そんな慌ただしく辛い一週間が過ぎ、週末に至った。
「碧ちゃん、スマホが鳴っているわよ」
母に言われてバイブ音に気づく。相手が修一だとわかると、慌ててONボタンをタップした。
「もしもし!」
『碧? 今日、午後から予定ある?』
「午後? うぅん、ないけど」
『ではちょっと時間もらえないかな? 父さんに会ってほしいんだ』
「えっ!」
『詳しい説明は車の中でする。二時に迎えに行くから。頼むよ』
「はい!」
時計を確認すると一時だった。
慌てて外出の準備を整える。落ち着いたベージュのノーカラージャケットに深いブラウンのワンピース。髪はトップとサイドを後ろでまとめて清楚に見えるよう心がける。メイクもいつも以上のナチュラルメイクだ。
官舎の出入り口から少し離れたところで待っていると、白のセダンがやってきて目の前で止まった。そのまま乗り込み、シートベルトを締める。
「急にごめんよ。迷惑じゃなかった?」
「うぅん、週末は基本、暇だから」
笑いを取ろうとおどけて言ってみたが、なんとなく声が震えているような気がして、言ってから情けなくなった。
案の定、修一は笑っていない。気まずくなって碧は俯いた。
「昨夜、飯田部長から謝られた。悪いのは僕だ。碧も、飯田部長も悪くない。みんな相手を気遣う優しい人ばかりだ。父は……人を見る目があるんだと思った。厳しいばかりで、父親らしいことなど何一つしてもらった記憶がない。家族で旅行に行ったこともない。僕は高校を出たら逃げるようにアメリカへ行った。今は同じことを妹がしてるよ。あいつは帰ってこないつもりのようだ。今回のことも連絡したが、帰国する様子もない」
「…………」
「だけど会社に入って、仕事をして、ここのスタッフが会社を思って、真面目に一生懸命頑張っている姿を見て、父が従業員とその家族を守るため、客に満足してもらうため、毎日必死だったんだと思い知らされた。和美さんの件は誠意をもって謝罪して、わかってもらおうと思っている。碧にも、黙って内々に解決しようとしたことを心から謝る。ひどいことを言って傷つけたことも反省している。だからもう一度チャンスを貰えないだろうか?」
碧は顔を上げ、修一の横顔を食い入るように見つめた。
「再会は本当に嬉しかったんだ。碧に会って、和美さんとは結婚できないと思った。これだけは譲れないって思ったんだ。どんなに迷惑をかけて、傷つけても、引けないって。だから、もう一度お願いしたい。このまま僕との交際を続けてほしい。至らないところは努力でカバーする。きっと碧を幸せにするから」
「修一君……私はずっと修一君が好きだったし、金木犀の香りがするこの季節、毎年思いだしていたわ。私を好きだと言ってくれる限り、ついていきたいと思ってる」
「本当に?」
「嘘はつかない。だってこの前ついたら、とんでもないことになったもの。危うく大切な人を失うところだった。もう嘘はつかない」
修一の秀麗な顔に笑みが浮かんだ。
「最初、父に破談のことを言ったら、ものすごく怒った目をしたんだ。話ができたら、きっと頭ごなしに怒鳴りつけられていたと思う。でも、碧のことを話したら、急に雰囲気が変わってね。最初は驚いた様子だったけど、話し終えたら嬉しそうな目で僕を見つめていた。父も碧のことは気に入っているみたいだ」
「えー!」
「本当だよ。だから今日、会ってほしいと思ったんだ。きちんと紹介したくてね」
車は病院の駐車場に滑り込んだ。一番奥の端が空いていて、修一はそこに止めた。サイドブレーキを引くと、碧の名前を呼んで手招きする。
「なに?」
顔を寄せると、いきなり唇が重なった。
「修一君!」
「僕の起こしたトラブルはきっと解決する。信じてほしい。碧、好きだ」
真剣なまなざし。見つめる修一に、熱いものが込み上げてくる。
「私もっ。私も好き」
修一が碧の背に片方の腕を回し、もう一度唇を重ねた。
碧は唇に想いを込め、そのキスを受け入れた。
ゆっくりと二人の顔が離れる。
「行こうか」
「はい」
車から降り、二人は矢島のいる病室へ向かった。