初恋の再会は金木犀の香り
病室に入ると矢島は起きていて、碧を見ると目元を弛めた。それだけではなく、口元もわずかに動き、笑ったように感じさせる。
脇には修一の母が立っていた。碧は深く頭を下げてから、ベッドに歩み寄った。
「久保田です」
目が「来てくれてありがとう」と語っている。病に倒れた痛々しい姿を目の当たりにし、碧は込み上げてくる涙を必死にこらえた。
「意識が戻られて、本当にホッとしました。会社のみんなもお見舞いに来たいと話しています。みんな待っていますので」
碧を見る目がわずかと潤んだように見える。碧は咄嗟に布団の上にある矢島の手を両手で握り締めた。
「父さん、この前も話した通り、僕は碧と将来一緒になりたいと思っている。まだ交際を始めたばかりだから、すべてこれからの話だけど」
矢島は話している修一の顔を見たあと、また碧に視線を動かした。口元がなにかを言いたそうにしている。それがなにかわからないまま、碧は必死で訴えた。
「修一さんの力になりたいと思っています。どんな形でも。ですがお許しいただけるなら、一番近いところにいさせていただきたいと願っています」
握る手に微かな力を感じたような気がした。
「…………」
涙を浮かべる碧に向け、今度こそ口元には微笑みが浮かんでいた。
それから数十分ほど碧は会社の話をした。一番矢島が気にし、知りたがっているだろうと思って、端的に説明をした。
それに矢島が瞬きを以て相槌を打ち、嬉しそうに聞いていた。最後はもう一度矢島の手を握って励まし、修一とともに病室をあとにした。
エントランスを出て駐車場に続く道を寄り添って歩く。
修一がホッとしたように胸を撫で下ろし、碧の手を取って握った。そして屈託のない笑顔を向けた。
「ありがとう。父さん、すごく嬉しそうだったよ。意識が戻ったものの、話しかけても反応なくてさ。目も向けなかった。唯一反応したのが破談の話と碧のことだったから」
「……役に立てたのなら嬉しいけど」
「充分すぎるよ。話ができるようになったら、今日のことを聞けばいい。絶対、嬉しかったって言うと思う。あ、碧、父さんは見栄っ張りだから、碧がいたらリハビリも必死になるだろう。定期的に顔を出して、叱咤激励してやってくれよ」
「病院内で大きな声で?」
「そうそう。なにやってるんだ! 手を抜くな! とか」
「嫌よ。そんなことを言って嫌われたらどうするの? 嫁なんてとんでもない! とか」
「あ、そうか、じゃあダメだ」
碧は思わず噴き出し、声を立てて笑った。対して笑われた修一は恥ずかしいのか、困ったように頭を掻きつつ苦笑いを浮かべた。
「でももし本当にそうなら、一日でも早く回復してもらえるように応援に行くわ。私にできることはなんでもするから」
「ありがとう。愛しいよ。愛しすぎて、今すぐここで食べてしまいたいぐらいだ」
「不謹慎だわ。ここ、病院なのに」
「病院でなければいい? 真っ昼間でも?」
「そんな恥ずかしいこと聞かないで」
浮かぶ微笑みに修一も笑顔で返す。碧の頬に手をやり、そっと撫でた。
「金木犀の香りがするわね」
碧の言葉に修一が周囲へ顔を巡らせた。奥に金木犀が幾本も植わっている。
「あれだな」
言いつつ、碧を引っ張ってその中の一本に歩み寄った。
「この病院にも言い伝えはあるかな」
「ないと思うけど」
「じゃあ作るしかないな。告白したら、叶うって。久保田碧さん、好きなのですが、僕の恋は実りますか?」
修一は左右それぞれで碧の手を握り、優しく微笑んで問いかけた。碧も嬉しそうに修一を見上げた。
「もう交際しているのに」
「知りたいんだ」
碧は握られている手を同じように握り返した。
「矢島修一さんは私の初恋の人ですから、あなたの恋はとっくに実っています」
微笑みあう二人を、金木犀の甘い香りが包んでいた。
終
脇には修一の母が立っていた。碧は深く頭を下げてから、ベッドに歩み寄った。
「久保田です」
目が「来てくれてありがとう」と語っている。病に倒れた痛々しい姿を目の当たりにし、碧は込み上げてくる涙を必死にこらえた。
「意識が戻られて、本当にホッとしました。会社のみんなもお見舞いに来たいと話しています。みんな待っていますので」
碧を見る目がわずかと潤んだように見える。碧は咄嗟に布団の上にある矢島の手を両手で握り締めた。
「父さん、この前も話した通り、僕は碧と将来一緒になりたいと思っている。まだ交際を始めたばかりだから、すべてこれからの話だけど」
矢島は話している修一の顔を見たあと、また碧に視線を動かした。口元がなにかを言いたそうにしている。それがなにかわからないまま、碧は必死で訴えた。
「修一さんの力になりたいと思っています。どんな形でも。ですがお許しいただけるなら、一番近いところにいさせていただきたいと願っています」
握る手に微かな力を感じたような気がした。
「…………」
涙を浮かべる碧に向け、今度こそ口元には微笑みが浮かんでいた。
それから数十分ほど碧は会社の話をした。一番矢島が気にし、知りたがっているだろうと思って、端的に説明をした。
それに矢島が瞬きを以て相槌を打ち、嬉しそうに聞いていた。最後はもう一度矢島の手を握って励まし、修一とともに病室をあとにした。
エントランスを出て駐車場に続く道を寄り添って歩く。
修一がホッとしたように胸を撫で下ろし、碧の手を取って握った。そして屈託のない笑顔を向けた。
「ありがとう。父さん、すごく嬉しそうだったよ。意識が戻ったものの、話しかけても反応なくてさ。目も向けなかった。唯一反応したのが破談の話と碧のことだったから」
「……役に立てたのなら嬉しいけど」
「充分すぎるよ。話ができるようになったら、今日のことを聞けばいい。絶対、嬉しかったって言うと思う。あ、碧、父さんは見栄っ張りだから、碧がいたらリハビリも必死になるだろう。定期的に顔を出して、叱咤激励してやってくれよ」
「病院内で大きな声で?」
「そうそう。なにやってるんだ! 手を抜くな! とか」
「嫌よ。そんなことを言って嫌われたらどうするの? 嫁なんてとんでもない! とか」
「あ、そうか、じゃあダメだ」
碧は思わず噴き出し、声を立てて笑った。対して笑われた修一は恥ずかしいのか、困ったように頭を掻きつつ苦笑いを浮かべた。
「でももし本当にそうなら、一日でも早く回復してもらえるように応援に行くわ。私にできることはなんでもするから」
「ありがとう。愛しいよ。愛しすぎて、今すぐここで食べてしまいたいぐらいだ」
「不謹慎だわ。ここ、病院なのに」
「病院でなければいい? 真っ昼間でも?」
「そんな恥ずかしいこと聞かないで」
浮かぶ微笑みに修一も笑顔で返す。碧の頬に手をやり、そっと撫でた。
「金木犀の香りがするわね」
碧の言葉に修一が周囲へ顔を巡らせた。奥に金木犀が幾本も植わっている。
「あれだな」
言いつつ、碧を引っ張ってその中の一本に歩み寄った。
「この病院にも言い伝えはあるかな」
「ないと思うけど」
「じゃあ作るしかないな。告白したら、叶うって。久保田碧さん、好きなのですが、僕の恋は実りますか?」
修一は左右それぞれで碧の手を握り、優しく微笑んで問いかけた。碧も嬉しそうに修一を見上げた。
「もう交際しているのに」
「知りたいんだ」
碧は握られている手を同じように握り返した。
「矢島修一さんは私の初恋の人ですから、あなたの恋はとっくに実っています」
微笑みあう二人を、金木犀の甘い香りが包んでいた。
終