初恋の再会は金木犀の香り
 翌日、本社勤務のスタッフ全員が大会議室に集められ、修一が社長就任の挨拶を行った。

 修一は武者修行という名目で他の会社に就職していたが、社会人三年目のキャリアでは会社を背負って立つことは難しい。だからみんなの協力が必要だと訴え、腰低く丁寧に語った。そんな姿が碧に小学生の頃を思いださせた。

(そう言えば矢島君、クラスの委員長に選ばれた時も、みんなの協力が必要ですって言ってたっけ。変わってないんだ)

 微笑ましげに見つめる碧は、ふと矢島と目が合った気がした。

(うわっ)

 とはいえ挨拶をしている新社長を見ているのは当然で、矢島のほうはすぐに別の場所へ視線を動かした。碧は一人胸の内で恥じた。

(私、意識しすぎっ。矢島君は私のこと気づいていないのだから、そんな目で見やしないのに)

 その瞬間、うっとわずかに息を詰まらせた。

(そんな目って、どんな目よ。ヤだ、ホントにもう! 自意識過剰!)

 やがて解散となった。

 席に戻ろうと歩きだした碧を飯田が呼び止める。そしてついてくるよう促した。

 どこへ行くのかと思っていると、正面で待っていた修一と合流した。行き先は社長室だった。中へ通され、ソファに座るよう促される。

「新社長の希望で、これからしばらく久保田さんには秘書として働いてもらう」
「秘書?」

 驚く碧に向け、修一が穏やかに微笑んでいる。飯田が続けて説明をする。

「新社長は、業務内容はもちろん、この会社のことはまったくご存じない。そんな状態で事務もするとなると時間がいくらあっても足りない。そこで早く覚えられるよう、細かな雑務をこなしてくれる秘書的存在が欲しいとご要望だ。総務部の中で今日から抜けても影響がないのは久保田さんだからお願いしたい」

「…………」

 言葉に詰まる碧に、部長は目を合わせて笑った。

「というのは半分本当で半分冗談だ」
「冗談、ですか?」

「君は入社三年目だから、担当している業務は少ない。抜けても影響が小さいのは確かだ。だがそれ以上に、周囲から諸雑務を頼まれることが多い。これはいろいろなパターンの書類作成をこなし、細かく知っていることを意味している。さらに窓口業務が主だから、フランチャイズを希望する申請者や、それらの手続きにも詳しいし、なにより加盟店の店長の顔をよく知っているだろう? 新社長をサポートするのに、これほど打ってつけの人材はいない」

「……そう、ですか。ありがとうございます」
「同い年だって聞くし、話もしやすいだろう。ねぇ、社長」

 修一は照れ臭そうに笑い、碧に顔を向けた。

「ある程度覚えたら一人でこなしますが、それまでの間、よろしくお願いします、久保田さん」

 優しく微笑まれ、碧は慌てて立ち上がって深く頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「では社長、すぐに準備に取りかかります」
「お願いします」

 飯田も立ち上がり、碧を促して社長室を後にした。廊下を歩きつつ、続けて碧に話しかける。

「非常に優秀な方だから、半年もかからずお役御免になるだろう。僕は三か月くらいかなって思っている。それまでの間、頑張ってくれよ」
「はい。でも、あの、非常に優秀ってどれくらい……なのでしょうか?」

 飯田は碧の質問の意図を勘違いしたようだ。意味深な目を向けつつ答えた。

「ハーバード卒だそうだよ」
「……ハ、えぇっ!」
「女性社員の中では一歩も二歩もリードしてるんだから頑張ってね」
「え?」

 碧は飯田の顔を見、誤解されていることに気づいた。

「ち! 違いますっ。部長、それは勘違いです」
「勘違い? なにが?」

 飯田の顔はますます得意気だ。碧は真っ赤になって否定した。

「私、その、えーっと、相手、いますから」

 気づいていない修一に思いだされたくないため、クラスメートだったことは隠したかった。そのための言い訳を考えるのに困って、思ってもいないことを口走ってしまった。今度は飯田のほうが「えっ?」とこぼして碧の顔を見た。

「えっ、あっ」

 しまったと思ったがもう遅い。飯田の顔がニヤけっ放しだ。碧は墓穴を悔やんだ。

「そうだったのか。いや、知らなかったよ。仙堂さんはなんとなくいるんだろうなぁとは思っていたけど。そうかぁ。いやぁ、残念がる男どもがいっぱいいるだろうから気の毒だ」
「部長、なにを言って」
「いやいやいや、ははは」

 碧は気まずいまま、無言で追随した。

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