初恋の再会は金木犀の香り
『アロー・フード・サービス』の社員食堂はかなり充実している。

 本社に籍を置く社員は五十人ほどだが、フランチャイズの責任者会議は最低でも月に一度開かれるため、ここを使うし、新商品の試食会や新規申請者への説明会、新加盟店の研修会でも使用する。

 さらにここは外食チェーン店だ。店で出すメニューの検分を皆で行うなど、食に関する問題や取り組みが重要だ。よって矢島の指示により、社員食堂は重要な場として注力されていた。

 日替わり定食を食べていた遙が、箸からポロリとサーモンムニエルの欠片を落とした。

「新社長が?」
「うん」
「例の初恋告白失恋物語の主役?」
「なによ、それ! ヘンな言い方しないで」
「実際そうじゃない。え! でも、ホントに?」
「ホントなの。最初に社長室で紹介された時、息が止まるかと思った。でも……」
「でも?」

 碧は頬を赤らめ、やや俯いて続けた。

「十三年ぶりの再会だったけど……」
「けど?」
「やっぱり素敵だった」
「ぶはっ。言うと思った」
「えー! ホントだもの。遥だって思ったでしょ? 客観的に見ても、素敵だって」

 遥が首を捻る。

「遥?」
「確かに綺麗な顔をしたオトコだなぁっとは思ったけど……でも、なんか優しいだけで優柔不断のような気がしたなぁ」
「えー!」
「そっかぁ。アレが碧の初恋の相手かぁ。確かに、うん。碧が面食いだということはわかった」
「ちょっ」
「碧は優しいから強引すぎるほどのオトコがいいと思うけどな」

 碧の顔が不服そうに歪む。

「ねぇ、マジで、兄貴の嫁に来ないかね? 碧なら大歓迎なんだけど」
「いつも思うけど、どこのおばあさんなの、遥は」
「ん?」
「嫁に来ないかね? って。丁重にお断り致します」
「ざんねーん」

 遥はおどけながらのけ反った。そんな姿を見て、碧は呆れてため息をつく。

「真面目にやってよ。こっちは恥ずかしい話、暴露しているのに。もう遥にはなにも言わないから」
「ごめんごめん。そう怒らないでよ。あくまで初恋の話であって、今はなんとも思ってないわけでしょ? だったら別になんと言おうがいいじゃない」

 碧の頬が朱色に染まっている。それを見て遙が目を丸くした。

「もしかして、初恋熱再発?」
「からかわないでっ。そういうわけじゃないけど、なんというか……その、二人っきりで仕事なんて、緊張するというか、その……」

 顔を朱色に染めて俯く姿がかわいいと遙は思ったが、口から出た言葉は極めて冷静だった。

「碧のこと、思いださなかったんでしょ?」
「…………」
「だったら脈はないと思うけど」
「だよね。私も、そう思っているよ。遙こそ人の心配している場合じゃないと思うけど? お相手は人気者なんだから」

 遙が両手の人差し指をピンと立て、口の前でバツを作っている。言うなという合図に碧は笑った。

「言わないわよ。だから遥もこれ以上からかわないで。初恋は初恋だから綺麗なの。そんなこと、わかってる。今更、矢島君に望むことなんかないわよ。他にいい人見つけるから無用の心配はしないで」

 遥は、うんうん、と頷いた。

 その後、その日の業務を終え、碧は社長室の鍵をかけた。

 これから修一との待ち合わせの場所に向かう。トイレに寄って化粧直しをすると、なんだかますます緊張して心臓が早鐘を打ち始める。

(急な話じゃなかったら、もうちょっとお洒落したのにな)

 そんなことを考えてみるが無理な相談だ。淡いピンクのルージュを引くと、小さく、うん、と頷き、エレベーターに向かった。

「あれ、久保田さん、今終わり?」

 飯田が後ろから声をかけてきた。振り返り、丁寧に会釈する。

「なんかご機嫌だね。デート?」
「そんなんじゃありません」
「デートだね。いいねぇ、若いって。楽しんできて」

 にこやかに言われ、返す言葉がない。むきになって否定することもできない。

 碧は適当に笑ってやり過ごした。エレベーターに乗り込み、一階に到着すると、もう一度会釈をして足早に立ち去った。

(いろいろ追及されたら困る。飯田部長、勘が鋭いのよね。表情で察しちゃうんだもん。職業病って怖いわ)

 碧はなんの疑問も抱かず普通に否定したが、この上司に恋人がいると嘘をついたことなどすっかり忘れてしまっていた。

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