財閥御曹司は最愛の君と極上の愛を奏でる
「……え?」
衣都はその場に立ち尽くし、思わず二度見した。
だって、リビングには黒々と輝くグランドピアノが衣都の帰りを待っていたからだ。
「さあ、座って。調律ももう済んでいるんだ」
響は衣都の背中に手を添え、鍵盤の前へと誘った。
手ずからスツールを引き出し、鍵盤の蓋を開けていく。
さあ、どうぞと言わんばかりに甲斐甲斐しく準備を整えられ、衣都は身体を強張らせた。
(……弾けない)
スツールに腰掛ける衣都の指は小刻みに震えていた。
もし響の前でピアノを弾いてしまったら、彼を信用していないことがピアノを通じて伝わってしまう。
「衣都?どうしたの?」
「ごめんなさい……。今は弾けないの。とても疲れていて……」
なんとも煮え切らない、拙い言い訳だった。
衣都がこんなに立派なグランドピアノを前にして、一曲弾かないなんてことは本来あり得ない。
響はスツールの前に跪き、そっと衣都の右手をとった。
「ねえ、衣都。僕に隠していることがあるなら正直に言って欲しい」
「隠していることなんて……」
「本当に?」
眼光鋭い上目遣いは、衣都の本心を見透かしているかのようだった。
毛穴から汗がどっと吹き出てきて、息がとまりそうになる。
響は衣都が何かを隠していると、既に確信していた。