財閥御曹司は最愛の君と極上の愛を奏でる

「弾いていいってさ」
「えっと……じゃあ、一曲だけ……」

 衣都はカバーを取り、鍵盤の蓋を開けた。
 鍵盤のひとつ押すと、ポーンと軽やかな音が響く。音に狂いはなく、調律もしっかりされている。
 幸いなことに、今日の海は穏やかで凪いでいる。これなら普段通りに弾けそうだ。

 衣都がスツールに座ると、何を演奏するのか興味津々で視線をこちらに向けてくる乗客もいた。
 彼らの期待に応えられるよう、暗譜している中からディナークルーズに相応しい一曲を選ぶ。
 ロマンティックな夜景と広大な海に敬意を表したチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第一番』。

 レストランには老夫婦、子供を連れた家族、幸せそうなカップルと様々な幸せが溢れていた。
 今日という日の思い出を彩る一節になればという願いをのせ、メロディーを奏でる。
 衣都が鍵盤から手を離すと、テーブルのあちこちから拍手が聞こえてきた。
 思っていたよりも注目を浴びてしまい、居心地が悪くなる。
 衣都は一礼すると、そそくさと響の元に戻った。

「素晴らしい演奏だったよ」
「上手く弾けてよかったです」

 結婚式や、音楽会でピアノを弾くことはあったが、海の上というのは初めての体験だった。
 慣れない場所での演奏ということもあり緊張したが、響にも乗客にも喜んでもらえてよかった。

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