可憐なオオカミくん
無我夢中で走っていると、いつのまにか学校に到着してしまった。教室の真ん中の席に座る。やっぱり人の中心の席はわたしには居心地が悪い。
「ねー。なにちゃん?」
初めてクラスの女子から声をかけられた。嬉しくて自然と口角が上がる。
「一華です」
「一華! わたしは穂乃果だよー。よろしくね」
穂乃果ちゃんはショートカットで笑顔が似合う子だった。気さくに話しかけてくれるので、人見知りの私でもすぐに打ち解けられた。穂乃果ちゃんと話しているうちに、クラスメイトが続々と登校してくる。必然的に教室の人口密度も上がっていく。
教室の真ん中の席は圧迫されるようで、心が落ち着かなかった。
男子生徒も増えてきて、心臓がドクドクと嫌な音を立てて鳴りだす。
落ち着け。落ち着け。
心を落ち着かせようと思えば思うほど、どんどん緊張感が全身を回る。
やっぱり、男性恐怖症のわたしが誰も知らない新しい学校なんて。無理なのかもしれない。強烈な虚無感が襲ってくる。動機と全身の震えが止まらない。
だめだ。もう、だめだ。
「一華!」
優しい声が耳に届くと、不思議と全身の震えが止まった。
「一華? 大丈夫か?」
顔を上げると優しい顔で覗き込む葵くんの顔が目の前にあった。「可愛い」こんな時でも、最初に出てくる感想は可愛いだった。
「……顔色悪いな?」
「あ、今ちょっとだけ。人口密度が上がって緊張しちゃったのかも。あと、男子の匂いが……」
男性恐怖症のわたしは、男の子特有の匂いが苦手だ。
女の子の優しく甘い匂いなら永遠に嗅いでいたいとさえ思うのに、男子の香ばしいような、泥水のような(男性恐怖症の一華の偏見です)匂いを嗅ぐと、心が落ち着かなくなってしまうんだ。
わたしの様子を確認すると、葵くんは教室を見渡した。
そしてある生徒に話しかける。
「悪いんだけど、林さん。一華と席交換してくれない?」
「え、なんでわたしが……」
葵くんは窓側の席の林さんに言葉を投げかけた。最初は嫌悪感丸出しだった林さんだが、葵くんの顔を見ると、表情がみるみる変わっていく。
「個人的な事情で言えないんだ。ね? だめかな?」
首をかしげて、きゅるんと潤む瞳。直視された林さんの頬は真っ赤に染まっていく。
「いいよ。いいよ! 全然! 喜んで!」
拒否していたのが嘘みたいに、上機嫌に了承してくれた。
「わー! ありがとう」
「……っ」
可憐な歓声と共に、葵くんの満面の笑みを向けられた林さんは何も言えないくらい顔を真っ赤にさせていた。言葉を呑み込み、葵くんの可愛さに悶えているようだ。
葵くんの一連のあざとさは、わざとなのか。天然なのかわからない。
「ね。僕に任せてって言ったでしょ?」
わたしの耳元で囁くと、ニヤリと笑った。その悪戯な笑顔を見て悟った。絶対に前者だ。自分の可愛さをわかっている上で、武器として使っているのだ。葵くんのあざとさは確信犯だった。
葵くんのあざとかわいいおかげで、居心地の悪い席から解放された。それは素直に嬉しいことだった。
外の景色を見られる窓側の席は、荒れていた心が落ち着いていく。