日給10万の結婚




 マミーから私宛に電話が来たのは、それから二日後の事だった。

 玲を経由して対応すると、彼女は明らかに戸惑った声で私にこう言った。

『あなたは何を贈ったの? 伊集院様は甘いものがお嫌いなのに、素晴らしい物を頂いたと直々にお礼をしてくれました。どういうことですか』

 その反応を聞いて、私は胸を撫でおろした。実際のところ、伊集院さんの機嫌を損ねる可能性はあったのだが、彼女は前向きにとらえてくれたようだ。

 私は表情を緩めて、一言だけ答えた。

「ですから、特別に取り寄せた焼き菓子です。これ以上は伊集院様のプライベートな話になりますので」

 マミーは散々喚いたが、適当に流して電話を切った。私は同時に大きなため息をつき、リビングのソファにごろりと寝そべった。そんな私の顔を、玲が覗きこんでくる。彼は笑っていた。

「上手く行ったみたいでよかったな」

「生きた心地がしなかった」

「攻めたな。無難に花でも贈っておけばよかったのに」

「みんなと同じじゃ印象に残らないじゃん」

 私は体を起こす。玲はそんな私に、氷の入ったチューハイを差し出してくれた。それを受け取り、喉に流し込むと、強い炭酸とアルコールが体中を突き刺してくるようだ。染みわたる、とはこういう時に使うのか。

 一人でふふっと笑う。

 伊集院さんに贈ったのは、『低糖質焼き菓子』だ。今時そういった特別なお菓子は調べると結構ある。その中でも、特別にオーダーしていい物を差し上げた。

 伊集院さんが糖尿病だということは、ほぼ間違いないと思っていた。昔は好きだったのに突然嫌いになったという不思議なエピソードの答えは簡単だ。『本当は好きなのに食べられなくなった』だったのだ。初めはアレルギーが発症したのかと思ったが、だとすれば隠す必要はない。

 もし本当に嫌いになったとしたら、来客に出すものにすら甘味が無いのが変だ。お茶会なのだし、普通は少しぐらいは甘いものがあってもいい。多分、見れば食べたくなってしまうし、人が食べてるのを見るのも辛かったんだろう。だから嫌いになった、と堂々と言った。

 自分が糖尿病だということを、伏せたがる人は案外多い。伊集院さんも言いにくかったのだろう。

 決定的だったのは、倫子さんから預かった写真だ。隅の方に、隠れたように薬を内服しようとしている姿が映っていた。拡大してじっと見てみると、私も仕事の時によく使用した糖尿病治療薬に非常に似ていた。包装してあるパッケージが印象に残りやすい色だったのも幸いしていた。なので、そんな彼女にも食べられるものを、と調べて用意してみた。

 お菓子と共に手紙を添え、その説明はしておいた。自分は看護師だったのでたまたま気づいた、と強調し、さりげなく他の人には漏らしていないことも伝えた。

 そして伊集院さん専用のお菓子を贈った、というわけだ。まあ、実際のところ糖尿病だからと言って、基本的には甘いものを全て断つ必要はない。大事なのは量やタイミングなどのコントロールだ。その人の現在の血液数値にもよるが、たまには食べたりして食事の楽しみを作ることも大事だと私は思っている。特に、誕生日という特別な日に、低糖質で作られたものぐらいなら。なので今回プレゼントにも選んでみたが、余計なお世話だと思われる可能性も高かった。どういった反応をされるかは最後までドキドキだった、というわけだ。まあ、一応お菓子の他に生花も贈ったし、パーティーでの手応えを見るに、ものすごく怒られることはないかな、と踏んでいたが。

 隣の玲もお酒を飲んでいた。氷の涼し気な音を鳴らし、彼は一人笑う。
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