日給10万の結婚

彼の隠し事


 圭吾さんが帰宅して一時間が経った頃。

 外もすっかり暗くなり、私は一人紅茶を飲んで気持ちを落ち着けていた。まだお風呂には入れていなかった。その間に玲から連絡が来たらどうしようと思うと、そんなことをしている余裕はなかったのだ。

 勉強にもテレビにも集中できずにいた自分は、そわそわしては紅茶を飲んでいるしかなかった。

 その時は唐突に訪れる。ずっと静かだった新しいスマホが、音を立てて鳴りだしたのだ。

「玲!」

 勢いよく手に取る。着信相手が間違いなく玲なのを確認し、胸がいっぱいになった。待たせすぎでしょ、一体どれだけこっちが苦しかったと思っているの。

 通話ボタンを押し、耳に押し当てた。

「もしもし玲!?」

 電話の向こうも、私と同じように焦った声を出していた。この前のキスの言及なんて、お互いする余裕はない。

『舞香? ごめん、スマホを見れる環境じゃなくて、今終わったんだ。どうした、緊急事態って』

 その声を聞いただけで、泣きそうになってしまった。私はつっかえながらも、今日起こった出来事を全て話した。和人との再会や、楓さん、そしてお義母さまからの連絡も。

 私の説明を、息を呑んで聞いていた。玲は絶句し、電話口でも分かるほど狼狽えていた。

「だからね……私たちの事もほとんどバレちゃってるみたいなものだし、いい言い訳も思いつかないの」

『……俺も甘かった。入籍日の事なんて考えてなかった』

「私も二人を舐めてた。どうしよう玲? もう無理なのかな」

 涙声で尋ねる。

「もしこのまま終わりになっちゃったら、玲の人生はどうなるの? やっぱり楓さんと結婚させられるの? 私そんなの嫌だよ。でも、もう手の尽くしようがない……」

 どうしても、そこだけが嫌だった。彼が誰と結婚しようが、ニセモノの妻である私には口を出す権利はない。ただ、相手は必ず玲が選んだ人であってほしい。玲が心から好きになって、一生を共にしたいと思える人がいい。

 彼には幸せになってほしい。

 情けない鼻を啜る音が部屋に響いていた。しばらく玲は何も答えなかった。電話の向こうの彼は黙ったままだ。

 だが少し経って、決意したように聞こえたセリフは、思っていた物とはずいぶん違った。


『俺が結婚したいと思うのは舞香しかいない』


 鼻水を啜るのすら忘れて止まってしまった。文章を理解するのに時間がかかった。

 何度か文章が頭の中で繰り返される。それでもなかなか反応が出来ない。一体玲は今何を言ったんだろう、日本語をしゃべってほしい。

「…………え」

『舞香。俺今から帰る』

「へ!!?」

『帰りは夜中になると思うけど待っててほしい』

「いや待つのはいいけど、ちょ」

 言いかけているというのに、相手は電話を切ってしまった。ツーツーという高い音が響くだけだ。唖然として電話を離す。

「意味わからんことだけ言って切りやがった」

 帰るのは明日のはずだったけど、仕事をどうにかしてくるんだろうか。そりゃ電話より直接話す方がいいとは思うけども。

「……さっきのセリフはどういう意味なんだ」

 小さく手が震えていた。それを必死に押さえつけるように腕を組む。

 玲が言っていた言葉の意味が、いい方に受け取っていいのだろうか。だとしたら、なぜあいつはキスしたあと謝って逃げるように出張に行ったのだ。

 彼は一体、何を考えているの?


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