日給10万の結婚
「別に……やめる必要は、ない」

 それを聞いた玲が、優しく笑う。そして私を強く抱きしめ、首に静かにキスをした。心臓の音はとてつもなくうるさく、今血圧測ったらどうなるのだろう、と馬鹿な事を考えた。

 玲の吐息が首に当たり、くすぐったい。

「舞香」

 その体制のまま、玲が静かに言った。

「舞香の事が好きでどうしようもないので、これからもずっとそばにいてください」

 低い声が耳に入ってくる。

 私は答えるより代わりに、その体を抱きしめ返した。広い背中、熱い体温。きっとこの瞬間を、私は永遠に忘れられないんだろうなと思った。

 めちゃくちゃな始まりだった自分たちが、本当の夫婦になれた日のことを。




 それから慌ただしく時間はすぎた。

 計画通り、小さなアパートを探して目星をつけた。物が多く引っ越しが大変になりそうだったので、玲の私物はいくらか売ってしまうと彼は言った。

 いるものといらないものの分別を始め、マンション内はその整理でごちゃごちゃになっていく。その一方で、玲はすでに求人広告をくまなくチェックしはじめ、一応知り合いに転職出来ないかの相談も持ち掛けたようだ。

 時間がないため、一応私はまだ二階堂でいる。

 新生活に向けてバタバタしている中でも、私は充実した気持ちになっていた。これから貧乏生活に戻るのだけれど、それを残念に思うことはなかった。

 むしろ、玲と始まる新しい生活に、ただ胸を躍らせていた。


――そんな私たちの決意は、無駄なものだったと、すぐに知ることになる。



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