私があなたの隣にいけるまで、もうあと少し

 そこにいたのは、私が想いを寄せている彼だった。修学旅行中も会えないのかな、と半ば諦めていた彼が、私の顔を覗き込むようにして傍らに立っていた。

 驚きと緊張で、心臓がうるさいくらいに動き始めた。

 彼の後ろ、少し離れたところから友人らしき男子生徒達が彼に声を掛ける。

「おーい、椿どうした?」

「悪い、先行ってて!」

 彼はそう友人達に返答した。

 つばき?確かにそう呼ばれていた。つばき、って彼の名前?それとも苗字?あだ名とか?


 友人を振り返っていた彼は、私の方に向き直るとさっきと同じように聞いてきた。

「一人でどうした?体調悪いの?」

 彼は心配そうに私の様子を窺っている。私は緊張で彼の顔をまともに見ることができず、ただただ地面へと視線を落とした。

 まさか彼とまた話せるなんて!まだ心の準備もできていないのに!

 こんなことよくないと分かっている。けれど私は、少しでも彼と一緒にいたかった。

「えっと、その、少しお腹が痛くて…」

 そう嘘をついてしまった。
 ごめんなさい。お腹なんてこれっぽっちも痛くない。なんなら今、私はものすごく元気だ。きっとここ数日で一番体調も気分もいいだろう。ようやくあなたに会えたのだから。

 しかし彼は大袈裟なくらいに狼狽して、「お腹痛いのか!どうしよう…」と困っているようだった。

 困らせてしまった罪悪感と、もしかして月のものだと思われてしまったかもしれないという羞恥で、私はますます何も言えなくなってしまった。

 せっかく彼と話せる機会なのに、名前をちゃんと聞くとか、クラスを聞くとか、しなきゃいけないことはたくさんあるのに。


「何か暖かい飲み物買ってくるか、この辺コンビニないよな。自販機ならあるか」

 そう呟いてどこかに行ってしまいそうな彼を、私は慌てて引きとめた。

「あ、あの、大丈夫なので!その、少し傍にいてくれると嬉しいのですけど…」

 勇気を振り絞って伝えた言葉に、彼はすんなり「分かった」と言って、私の隣に腰掛けた。

「これ、もし嫌じゃなかったらお腹温めるのに使って」

 彼は自分の腰に巻いていた紺のカーディガンを、私に手渡してくれた。

「あ、ありがとう…」

 嫌なんて思う訳ない。むしろ嬉しすぎるし、私なんかが触ってしまって恐れ多い。

 恐縮に思いながらも、私は有難く彼のカーディガンをお腹に巻いた。

 ああ、幸せ。私はもうこれだけで十分。

 好きな人の傍に少しでもいられるだけで、やっぱり修学旅行に来て良かったと思った。


 私がお腹が痛いと言ってしまったせいか、彼は話し掛けてくることはなく、ただただ隣にいてくれた。彼だって、これから友人達と水族館に行くはずだったのだ。その楽しい時間を奪ってしまっている。それはすごく嫌だった。私はもう十分幸せな時間を貰った。

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