妖帝と結ぶは最愛の契り
 牛車から転げ落ちないためならば後簾から離れていれば事足りる。
 自分のことを知りたいというならば、言葉を交わせばいいのではないだろうか。
 このように抱き締めなくともいいはずだ。

 なのに弧月は美鶴の腰を引き寄せ、煤で汚れてしまっているらしい頬に手を添え見下ろす。
 赤く、魅力的な紅玉の瞳に見つめられ胸がどうしようもなく高鳴った。

(苦しい……胸の鼓動が早すぎて、息がまともに出来ないわ)

 異性に抱き締められるのも、このように真っ直ぐ見つめられるのも初めての経験で、自分の身に何が起こっているのかも分からない。
 ただ分かるのは、平常心を取り戻すには弧月から離れなくてはいけないということ。
 なのに離れることは叶わず、紅玉の奥に宿る僅かな炎を見つめることしか出来なかった。

「美鶴……俺の妻となる娘」

 形の良い薄い唇が、確かめるように言葉を紡ぐ。
 低い声は、美鶴の心を惑わすように響いた。

「……何故だろうな? 今日初めて会ったばかりなのに、ずっとそなたを求めていたような気がする」
「え……?」
「こうしていると、尚更そなたを欲しいと思うのだ」
「え? あ、あの……?」

 頬に添えられていた手も背に回り、ぎゅうっと密着するほどに抱き締められ戸惑いは増していく。

(ほ、欲しいとは? 異能の力のこと?)

 予知の能力があるから妻にと望まれたはずだ。
 妻と言っても、お飾りのはずだ。
 なのにどうしてだろう。弧月からは確かな情を感じる。

 抱き締められ、殿方の硬い腕を感じ、美鶴は高鳴る鼓動の行き場を探す。
 黒方の香りは、美鶴を全く落ち着かせてはくれなかった。
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