天才魔法使いは意地っ張りな努力家魔女に恋をする
5話 あの場所へ
恋人がいたりいなかったりする日々の中でも、当然彼女は視界に入る。たまにオリビアを、魔法学の選択授業以外で見かけた。彼女は、よく走っていた。教室ではツンとすましているくせに、1人だとやたらと落ち着かない。黒髪を揺らしてパタパタと忙しなく動き回る彼女をなんとなく眺める。
彼女はクラスではしっかり者だと言われている。優等生という言葉のイメージ通りの評価だ。穏やかで、清楚で、いつでも落ち着き払っているというのが、皆のオリビアへの印象らしい。しかしそれがどうも、僕が来てからは変わったようだ。ライバル心をむき出しにして、僕を睨む彼女に誰もが驚きの声をあげた。
”変わった”?僕がオリビアを変えたのか?でも僕は、そう思わない。
元から…そうなんじゃないか。
ある日、その疑惑を確信に変える出来事があった。
僕が用事で職員室へ向かうと、オリビアもいた。女性の先生と何やら話している。あれは、転校してきた時にお世話になったマリア先生だ。よっぽどあの先生に気を許しているのか、子どものようにはしゃぎ、目を輝かせている。こんな姿は誰も見たことが無いのではないか?
つい彼女に見とれて、会話に聞き入ってしまった。オリビアは勉強はそんなにしていないようなことを言っていたが、実は人気の無い図書館で、日々隠れるようにして猛勉強していたらしい。なるほど、いいことを聞いた。マリア先生に憧れていたのか。確かにこの先生には他の教師と違って、学校を今にも飛び出して世界に羽ばたいていきそうな勢いを感じる。それに、オリビアの教室でのゆったりとした立ち振る舞いはどこか彼女に似ていた。しかし今は、そわそわと焦ったように指を立てて、努力している事を皆には言うなと話している。
さて、これで分かった。彼女は自分を偽っている。
オリビアは先生と別れた後、振り返って僕に気が付いた。一瞬動揺したように感じた。しかしまたそっけなくされるのかと思いきや、ニッコリ笑って嬉しそうに紙を見せてきた。それは、満点の魔法学のテスト用紙だった。
あんまり嬉しそうにするものだから思わず頭を撫でると、オリビアは怒って足早に去ってしまった。彼女の顔はコロコロ変わる。見ていて飽きない。子犬みたいだ。それでも隠しているつもりかい?その豊かな表情を。
彼女の秘密という程でも無い秘密を知った僕は、職員室での用事を済ませた後、導かれるように図書館へ向かった。憎い僕が現れたらどんな反応をするだろう。
行く前に職員室でマリア先生に呼び止められた。先生にも何か頼まれた気がするけど、早く図書館に行きたい気持ちで、話半分で引き受けてしまった。後から聞いたら、僕がこっそり危険な魔物狩りに出掛けている事がバレていて、黙っている代わりにゴブリンの生態のレポートを書いて欲しいという事だった。
***
ここは学校に併設されてはいるが、生徒が入っているところを見た事が無い。それ程に人気の無いこの場所の扉を初めて滑らせると、ほこりを被った本が並ぶ棚の向こうに、一人で黙々と勉強している彼女の姿が見えた。間抜けな割には成績が良く、しかもそれを当たり前かのように振舞う事で周りに天才と呼ばせ続けてきたオリビアの真の姿を、見た。
ほら、頑張っているんじゃないか。
秘密を知った上で、思う。努力で成績を上げる事の何が悪いのだろうか。なぜ隠す?僕には出来ない。僕はテストはパズルのように感じるから、必死で覚えて解くという感覚が無い。もしも勉強が苦手だったなら、こんな風に、テストが終わった直後にまで猛勉強なんてしないだろう。
彼女はボロボロの羽ペンを使ってノートに何かをひたすら書いている。マリア先生には、ここで毎日勉強していると言っていた。そりゃこんだけやっているのにあっさり負けたら、悔しくもなるな。なりふり構ってはいられないよね。ホウキレース大会の日の悔しそうな顔が浮かぶ。きっと、あれも相当特訓していたのだろう。全ての点と点が繋がって線になる。
僕が声を掛けると、オリビアは飛び上がって驚いていた。またいい反応をしてくれる。いつでも落ち着いている設定なら、僕に乱されたらいけないよ。彼女は僕に気付くと、また不機嫌な顔をし出して、一刻も早く帰れと言いたそうな態度を示した。
ボロが出始めていても未だにクールに振舞おうと必死になっているが、そこに僕がいると彼女の調子は狂う。
そんな彼女のギャップに、落胆するクラスメイトも確かにいた。いつも控えめな才女が歯ぎしりをしながら僕に立ち向かう姿にギョッとしてしまう気持ちも分からなくは無い。
だけどよく見ていれば気付いたはずだ。彼女は、人一倍の努力家。がむしゃらで、一生懸命だ。陰湿な嫌がらせで、僕の足を引っ張ったりしない。よく分からない言いがかりをつけてきたりもしない。とにかく、彼女はその態度とは裏腹に正々堂々としている。
僕にはそれが嬉しかった。僕に気を遣ってストレスを溜められるより、直に感情をぶつけてくれた事が。
この時から、僕は毎日図書館へ足を運んだ。それはとても自然な事だった。あんなに憎らしげな顔を見せておいて、誰よりも嫌がらせしそうなのに意外とひたむきに努力し続ける彼女を、応援したくなったのだ。
彼女を支えたくなったのには、もうひとつ理由がある。オリビアの行動には、どこか危うさがあった。
彼女はとても頑固だ。こだわりがあるらしく、時々とんちんかんな方法で魔法の練習を進める。
例えば、彼女が杖を振っている時だ。この子は本当に要領が悪い。実習なのに手を動かさず、ノートばかり見ている。僕が何度も効率の良いやり方を教えようとしているのに、無視したあげく、魔法を暴発させ、思い切り吹っ飛んでいった。僕はオリビアが危なっかしくて仕方ない。何でも出来る素振りを見せるが、誰もやらないミスもする。今までよく天才ぶれていたな。
何度失敗しても立ち上がるオリビア。僕を遠ざけ、1人で踏ん張る。全ては僕に勝つために。それなのに、成功するとその喜びを僕に隠しきれない。僕はその嬉しそうな顔をもっと見たくて、図書館にあしげく通った。
近くの椅子に座って適当な本を読みながら、ただ静かに勉強する姿を見守った。彼女は真剣に問題集に取り組んでいる。僕はオリビアの顔を見ているだけで楽しかった。彼女が疲れを見せると、すぐさま紅茶やコーヒーを差し入れた。分からないところがあれば、教えたかった。といっても、プライドの高い彼女のことだから、素直に僕に頼ることは無いだろうと考え、事前にメモに解説をまとめて渡したりもした。最初はうっとおしがっていたオリビアも、次第に僕を受け入れ、少しずつ気を許してくれているのが分かる。
この時、初めて心から楽しいと思っていた。この静かな時間を過ごす日々が、僕には凄く新鮮で、幸せなひとときだった。彼女は僕を分かりやすく褒めたりはしないけど、こんな風に僕を目指してくれている事が、僕を認めている何よりのしるしだと感じた。
一緒にいたいというのは、こういう事かもしれない。もう誰彼構わず付き合うのはやめてみようか…………
しかし、なんとなくそう思い始めた頃、想定外の事が起きた。あれは、11月の終わりの事だった。