恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
 ──失敗した。

 文乃は四日ぶりに来店した見知らぬ好青年──否、私服姿の昴を前に「ひぇ」と悲鳴を漏らしてしまった。

 薄手の黒いジャケットに、シンプルな白いシャツ、デニム地のパンツ。何てことない組み合わせなのに、昴の高い身長と均整の取れた体が相乗効果を生み出しているのか、あまりにも完成された出で立ちである。

 それだけではない。スーツ姿のときはすっきりと開いていた前髪も、ワックスで少しばかり動きを出して軽やかな印象となっており、色気と若干の幼さが混在したような──ああいや、これが「甘さ」と言うのだろうかと、文乃は知らぬ間に真っ赤になっていた頬を盆で隠しておいた。

「高良さん?」
「な、何でもありません……」
「お気に召しませんでしたか」
「いえ! あの! とても素敵です! お席にどうぞ!!」

 盆を下ろして無駄に勢いよく言えば、そこには目を丸くした昴がいて。

 驚いて固まっていた彼は、一拍置いて微笑んだ。それはもう、嬉しそうに。

 ぎゅう、と胸の奥が締め付けられるような感覚に慌てて、文乃はいつもの席へと踵を返した。


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