恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた

　突然肩を強く掴まれ、文乃は声もなく振り返る。そこには元交際相手──将吾(しょうご)がいた。

　文乃と付き合っていたにも関わらず、別の女を部屋に連れ込んで体を重ね、あまつさえ浮気の理由が文乃にあるかのように語った男。

　最近は顔も思い出すことがなかったために、文乃はひどく驚いて固まってしまった。

「文乃……よかった、会えた」

　歩道のすぐそばを車が駆け抜け、我に返る。何故かほっとしたような顔でこちらを見詰める将吾に、ざわざわとした嫌悪感を覚えて文乃は後退った。

「……手、離して」
「あっ、ごめん急に」

　手が離れるや否や踵を返そうとした文乃を、すぐさま将吾の慌てた声が引き止める。

「待って文乃！　ちょっとでいいから、話聞いてほしくて」
「何も話すことないでしょ」
「ある！　……ずっと謝りたかったんだ。文乃、すぐ仕事辞めちゃって、連絡もつかなかったから」

　謝りたかった──その言葉に文乃は思わず鼻で笑ってしまった。