恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
 高鳴りなんて生易しいものではない、心臓を素手で揺さぶられるような感覚に、文乃は胸を押さえる。

「……羽衣石さん」
「どうか昴と」
「す、昴、さん。何か、いつもと違い、ますね……?」

 蚊の鳴くような声だったと思うが、文乃と昴の顔はこれまでになく近い。震えた言葉もしかと聞き取った彼は、自嘲気味な笑みを浮かべて謝った。

「すみません。怖がらせるつもりはないのです」
「あ、いえ、怖くは……」
「ただ、良くも悪くもこれほど文乃さんの心を掻き乱す存在がいるのだと知って、焦ってはいます」

 逸らされたアンバーの瞳を追い、文乃は呟く。

「別に、もう私はあの人のこと好きじゃ……」
「ええ。ですが悪い印象ほど人の記憶には強く残るものです。酷い仕打ちを受けた相手なら尚更。私はそれが──気に食わない」

 かち、とシートベルトが外された。文乃の体が自由になったのも束の間、今度は昴の腕の中に閉じ込められる。

 互いの体温も、呼吸も、匂いも丸わかりの距離。文乃と同じぐらい速まった鼓動が、昴の温かい胸から伝わってきた。


「文乃さんの心に住まわせる男は、私だけにしてほしいのです。昼も夜も、今この瞬間も」


 つまりは四六時中、昴のことを考えてほしいということか。

 落ち着いた声とは裏腹になかなか火力のある言葉を吐く昴に、文乃は目を白黒とさせてしまう。

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