恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
貢がせるなんてそんな、女王様でもあるまいし──当時の文乃はそう言って笑ったが、友人の言葉はあながち間違っていなかったと今は思う。
新卒で入った会社はなかなかのブラックで、当然のように強いられる残業に上司からのパワハラセクハラモラハラ……心身ともに擦り減らしていく中で、文乃は同期の男と意気投合した。
さっさと辞めてやるこんな会社などと軽口を叩き合いながら、一緒に食事をしたり片方の家で飲んだりと、段々と恋人らしい関係に発展していったのは自然な流れだった。
だが、文乃はやはり無意識のうちに──友人の言葉を借りるなら、相手を付け上がらせていたのかもしれない。
『あー、今日疲れてるから家でも良い? 出掛けんのはまた今度にしよ』
『文乃、飯買ってきてよ。今ゲームいいとこでさ』
『そのワンピースあんま似合ってなくない? 文乃はもうちょっと清楚なやつが良いと思うな』
『昨日後輩と飲んでたら寝坊した。また埋め合わせするわ』
『文乃って何か、姉貴とか、母親みたいでさ。ごめん、女として見れなくなった、かも』
ぶち、とそのとき何かが切れたような音がした。
知らない女と裸で抱き合っていたところを見られたにも関わらず、ヘラヘラと笑って言い訳を連ねる男に、文乃は持っていたコーヒーの蓋を開けて頭から掛けてやった。
男が好きなコーヒーだった。新作が出ていたから、喜ぶかと思って買った物。
あれほど重苦しい沈黙は最初で最後だろう。文乃は冷え切った顔で容器を放り捨て、部屋の合鍵も投げつける。
『疲れた』
『え……あ、ふ、ふみの……?』
『終わりでいいよね』
待って、ごめん、魔が差しただけ、別れたくない、そんな戯言が聞こえた気がしたが、全部無視して部屋を出ていった。
涙は出なかった。何せ毎回こうなのだ。初めは対等な関係だったはずなのに、いつの間にか相手の態度が大きくなって、文乃になら何をしても許されると、最低な勘違いを起こすから。
もちろん相手だけを責めるつもりはない。彼らの我儘を嫌だと言えず、笑って受け入れてしまった自分にも非があるだろう。
でもそれは──これからも長く付き合っていきたいと、良好な関係を維持していたいと思ったからだ。
決して召使いや母親になりたくて我儘を許したわけじゃない。
『……しんどい』
会社どころか、恋人にさえも大事に扱われない。
そんな自分が一気に惨めに思えた文乃は、医師の勧めで会社を辞めて実家に戻ったのである。
新卒で入った会社はなかなかのブラックで、当然のように強いられる残業に上司からのパワハラセクハラモラハラ……心身ともに擦り減らしていく中で、文乃は同期の男と意気投合した。
さっさと辞めてやるこんな会社などと軽口を叩き合いながら、一緒に食事をしたり片方の家で飲んだりと、段々と恋人らしい関係に発展していったのは自然な流れだった。
だが、文乃はやはり無意識のうちに──友人の言葉を借りるなら、相手を付け上がらせていたのかもしれない。
『あー、今日疲れてるから家でも良い? 出掛けんのはまた今度にしよ』
『文乃、飯買ってきてよ。今ゲームいいとこでさ』
『そのワンピースあんま似合ってなくない? 文乃はもうちょっと清楚なやつが良いと思うな』
『昨日後輩と飲んでたら寝坊した。また埋め合わせするわ』
『文乃って何か、姉貴とか、母親みたいでさ。ごめん、女として見れなくなった、かも』
ぶち、とそのとき何かが切れたような音がした。
知らない女と裸で抱き合っていたところを見られたにも関わらず、ヘラヘラと笑って言い訳を連ねる男に、文乃は持っていたコーヒーの蓋を開けて頭から掛けてやった。
男が好きなコーヒーだった。新作が出ていたから、喜ぶかと思って買った物。
あれほど重苦しい沈黙は最初で最後だろう。文乃は冷え切った顔で容器を放り捨て、部屋の合鍵も投げつける。
『疲れた』
『え……あ、ふ、ふみの……?』
『終わりでいいよね』
待って、ごめん、魔が差しただけ、別れたくない、そんな戯言が聞こえた気がしたが、全部無視して部屋を出ていった。
涙は出なかった。何せ毎回こうなのだ。初めは対等な関係だったはずなのに、いつの間にか相手の態度が大きくなって、文乃になら何をしても許されると、最低な勘違いを起こすから。
もちろん相手だけを責めるつもりはない。彼らの我儘を嫌だと言えず、笑って受け入れてしまった自分にも非があるだろう。
でもそれは──これからも長く付き合っていきたいと、良好な関係を維持していたいと思ったからだ。
決して召使いや母親になりたくて我儘を許したわけじゃない。
『……しんどい』
会社どころか、恋人にさえも大事に扱われない。
そんな自分が一気に惨めに思えた文乃は、医師の勧めで会社を辞めて実家に戻ったのである。