恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
 そうして耳に口付けながら囁かれた返事に、文乃は頬どころか全身が火照るのを感じた。

 びくりと震えた後、文乃は少し恨みがましい面持ちで昴を見上げる。

「あの……恋愛とは縁遠かったみたいなこと、言ってました、よね?」
「? はい。見合いはありましたが尽く性格の不一致で交際には至りませんでしたね。父にも『もう嫁は自分で探せ』と諦められました」
「そ、そうですか」

 じゃあキスも初めてだったのだろうか、あの上手さで──?

 文乃が信じられない気持ちで愕然としていることなど露知らず、一方の昴は花でも飛びそうなほど上機嫌に彼女の頬にキスを贈る。

「文乃さん」
「はい」
「ティーカップはまた後日、新しいものを贈ります」
「え! そんな、」
「その代わり」

 遠慮を口にしようとした文乃の唇に、彼の人差し指が置かれた。その柔らかさを確かめるように、ふにふにと指先をやんわり沈めて。

「二人で買いに行きましょう。そこで、私のも一緒に選んでいただけますか」

 控えめに悪戯される唇と、優しさに溢れた甘い微笑みとに翻弄され、文乃は目を回しそうになる。

 これまでの距離感はどこへ行った。恋愛経験が乏しいなんて嘘では──などと混乱しているうちに、あっさり唇を奪われた。

「ぅむっ、ちょっと」
「すみません、文乃さんが無防備にも可愛い顔をしていたので」
「へ!?」
「これから家に帰さなくてはならないのが苦痛でなりません……。しかし交際初日からがっつくのは止めておけと知人から言われましたし、いやでももう少し文乃さんに触れていたいので」
「い、いいいい一旦! 帰らせてもらっても良いですか!?」

 じゃあその前にもう一度だけ、と言いつつ結局くたくたになるまで甘すぎるキスをお見舞された文乃は、しかし忘れずに昴と連絡先を交換してから家まで送り届けてもらったのだった。

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