いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】

ep65 まごころ神ちゃんの五兄弟妹(きょうだい)

 話は、2年生の夏休み明けまでさかのぼる。

 その日神谷は、今日提出の宿題をやってくるのを忘れて、放課後教室に居残って、宿題をやっていた。

 やっと宿題が終わって、担任の増田に提出するため職員室に訪れると、職員室に見慣れない長身痩躯の顔の整った成人男性と、やけにきれいな顔をした少年が増田と話をしていた。
 気になって扉のガラス窓から覗いていると、増田の口から「転入」という言葉が耳に入った。

 翌日、学年全体に転校生の話は広まることになり、女子たちはこぞって神谷から詳細を聞きたがった。何せ、相当の美少年が転入してくるのだ。みんなの注目を浴びて調子を良くした神谷が語った転校生の話は、しっかり偏見と妄想も含まれていた。それが、日下が耳に入れた、あまりにも荒唐無稽な噂の数々だった。

 神谷のせいで、いよいよ期待値の高まっていたクラスメイト達は、疑い半分期待半分で転校生を待ち望んだ。そして、転入当日。転校生が教壇に立った時、彼の容姿を前にして、教室中が息を呑んだのは言うまでもない。


 一緒に来ていたのはお父さんではなく叔父だったことと、外国人ではなく生粋の日本人であるなど、神谷が言いふらした誤解すらも忘れてしまうくらいに、噂の転校生の美しさには誰もが認めるものだった。そして、海外に住んでいた経験は無かったが、英語の成績は本当に良かった。

 神谷亮という少年は、度々謎の奇跡を引き起こす。純粋な面白さを求めた生粋なバカであると同時に、あり得ないほどの引きの良さと嗅覚を発揮するのだ。そのためか、何不自由のない学生生活に、多少の刺激を求めていた神谷は、篠原咲乃を一目見て確信する。

 こいつ、絶対に面白い、と。




「桜花咲!?」

 咲乃が桜花咲を受けると聞いた日。弟の亮が突然、桜花咲学園高校へ行きたいと言い出して、神谷家次男、神谷敦(かみやあつし)は素っ頓狂な声を上げた。

「お前が!? 無理だろそりゃあ!」

 神谷亮の家は定食屋だ。栄至駅前の商店街に構えるその定食屋の名は『まごころ(かん)ちゃん』と言う。祖父の代から受け継いだ店で、近隣住民から親しまれている。今では店主である父のもと、高卒の次男坊が3代目として修業中だ。

 営業が終わった店内、熱気のこもる食堂のカウンター席に座り、亮は兄貴の作った(まかな)い飯にありついていた。

「将来有望な少年に無理はねーじゃん。元気があれば何でもできるって、俺の師匠も言ってたぜ」

「師匠ってお前、勝手に言ってるだけじゃねぇか。つうか、この間の師匠はどうした。元テニスプレイヤーの――」

「過去のことは振り返らねぇ。進化し続けるには邪魔なだけだ」

「偉大な師匠たちを何だと思ってんだテメェ」

 チャーハンを咀嚼しながら、修行中の兄貴に軽口をたたく。

「どうだ、美味いか?」

「ソースが足りねぇ」

「素の味聞いてんだよ。ソースかけんな!」

 練習の成果を訪ねるが、ジャンクフード慣れした弟の味覚は当てにならない。敦は溜息をつきつつ、中華鍋に残ったチャーハンを味見した。悪くはないが、店の味には程遠い。

「んで、何で急に桜花咲に行きたいって話になったんだ。勉強嫌いのお前がよ」

 敦が尋ねると、亮はカウンターに備え付けらえているウスターソースを、チャーハンにかけながら答えた。

「親友が桜花咲に行くっていうからさ、ついて行く事にした。どうせ行きてー高校もねぇし、普通の公立行ってもつまんねぇだけじゃん」

 折角作った特製チャーハンが、大量のソースで埋められていくのを悲しく眺めながら、敦はその親友とやらに感心した。

「お前の親友、頭いいんだな。あそこの偏差値、日本でも有数だろ」

 頭の中に、偏差値の高い有名な高校を数名思い浮かべる。桜花咲はその中に並ぶほどの偏差値だ。日本に住んでいたら誰でも知っている名門校。桜花咲学園高校は、幼小中高一貫校であり、将来有望なエリートたちの通う学校というイメージも強い。

「もっと身の丈に合った高校がいいんじゃねーか? 親父だって、そんな高い学費払えねぇだろ」

 至極全うなことを言う次男に、亮はやれやれと頭を振った。

「兄貴はわかってねーな。俺はいずれビッグになる男なんだよ。学費だって奨学金で何とかするし、桜花咲は外部生への学費支援がしっかりしてるってよ」

 いかにも楽勝だと言いたげな亮に、敦は呆れを通り越してその自信はどこから出るんだと疑問に思った。
 弟は昔から、自分はビッグになるんだと常々語っていた。いったい何のビッグになるんだと聞いても、「何かの」としか答えない。幼い頃は、「正義のヒーローになる!」ぐらいの可愛らしい妄言だと微笑ましく思っていたが、中学2年生の言葉としては不安でしかない。

 兄貴として「しっかり現実を見ろ」と諭してやるべきなのだろう。しかし敦には、やる気になっている弟の決心を否定する気にはなれなかった。
 自分は勉強が嫌いだった。だから、高校を卒業した後、すぐに実家の定食屋を継いだ。両親は喜んでくれたが、苦手な勉強から逃げて実家を継いだ敦としては、難関校を受験したいという弟の夢を否定するにはいささか足らないような気がしたのだ。

「ま、俺が学費出すわけじゃねーし、親父とお袋を説得するんだな。俺は何も言わん」

 亮が本気で桜花咲を目指しているとは思えなかったが、それでも兄として応援はしてやりたいと思っている。半年前まで亮の師匠だったバスケ部の監督だって言ってたじゃないか。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」と。

 亮はチャーハンを食べ終わると、爪楊枝で歯の隙間を掻き出した。

「でさ兄貴、勉強教えてくんねぇかな」

「俺が教えられるわけねぇだろ」

「あー、やっぱり?」

「わかってんなら聞くな」

 敦は溜息を吐いた。本当にこいつは何を考えているのか謎だ。




 亮は定食屋を後にして、徒歩3分程度でつく自宅に帰る。玄関を開けると、すぐに愛犬のファイアー・ドレイクが駆け寄った。

「キャンッ!」

「お〜、待ってたかぁファイ」

 亮はファイを引き連れ、そのまま台所へ向かうと、台所では母親が皿洗いをしていた。

(かぁ)ちゃーん、飯はー?」

 冷蔵庫を開き、何か美味いものはないかと物色する。亮の母親は呆れた顔をして振り返った。

「アンタ、どうせ敦に賄い作ってもらったんでしょ。夕飯いらないじゃないの」

「成長期だから腹減るんだよ。(とう)ちゃんは?」

「町内会の付き合いで飲みに行ってるよ」

 冷蔵庫を覗きながら訪ねる亮に、母親は呆れた声色で答えた。

「ふーん。お、プリン発見」

「あんたってば、食ってばっかり。太っちまってもしらないよ!」

「部活やってっから太んねーよ」

 亮はプリンを持って自室に入ると、床に胡坐をかいてプリンの蓋を容器からはがした。ファイはひょこひょこと短い脚を動かして亮のそばまで駆け寄ると、亮の足の間に座った。

 食べ終えたプリンの容器と付属のスプーンを適当にゴミ箱へ投げ込み、ベッドに倒れて天井を見上げる。腹の上にうずくまるファイの温かいからだを撫でながら、亮は物思いに耽った。

 兄貴に桜花咲へ行くと打ち明けてはみたものの、まだ親に志望校を言うつもりはない。絶対反対されるに決まっている。それに、まずは受験勉強の方法を考えなければ。

「勉強どうすっかなー、ファイ」

「クゥーン」

 亮はとことん飽きやすい。大人しく机に座って何時間も勉強するなど、最も苦手とすることだ。数分経つとすぐに飽きて遊び始めてしまう。誰かが勉強をみてくれれば、簡単にサボることはないとは思うのだが。
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