いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】
「……稚奈は、本気で篠原くんのこと好きなのに」

 わかっている。咲乃は成海を、恋愛対象として見ているわけではない。あんなブスを恋愛対象として見れるわけがない。それでも、咲乃から向けられる感情が、成海に劣るなど考えたくもなかった。

「大事だよ」

 そして、認めたくもなかった。咲乃の目が、成海の話をする時だけ、少しだけ緩むのを。

「津田さんは、友達でいよう(・・・・・・)としてくれるから」

 稚奈は、成海が頑なに、咲乃に恋をしないと言っていたのを思い出した。「そんなことはあり得ない」と。それを聞いた時、稚奈は半信半疑だった。咲乃を好きにならない女子など、本当にいるとは思えなかったからだ。

「……バカみたい」

 本気で二人は、友情ごっこをやっているのか。恋愛感情の伴わない男女の友情ごっこを。

「ねぇ、篠原くん。稚奈ね、なるちゃんがいじめられていたこと、知ってたの。知ってて知らんぷりして、なるちゃんのこと避けてたんだ」

 なんだか全てが馬鹿馬鹿しくなって、いろんな感情が吹っ切れてしまった。咲乃に向かって、笑顔を向けられるくらいには。

「だって、なるちゃんと一緒にいたら、稚奈までいじめられちゃうじゃん?」

 下駄を履いた足をぶらつかせ、子供のように頬を膨らませる。

「篠原くんさ、本当にこのまま稚奈を振っちゃっていいの? 篠原くんとなるちゃんが仲いいこと、稚奈、知ってるんだよ?」

 稚奈だけが知る、二人の秘密。もし皆に知られたら、成海の立場はどうなるだろう。不登校の立場を利用して、咲乃の同情を買っているのだと思われたら、女子たちのヘイトを集めるだけだ。

「せっかく復学したのに、なるちゃん、学校で浮いちゃうよ? またいじめられちゃったらどうするの?」

 稚奈は、にこにこと楽しげに咲乃を見つめた。咲乃は、感情の読めない表情で、稚奈を見つめ返していた。

「稚奈だったら、一年生の時になるちゃんをいじめた人たちのこと、教えてあげられるのに」

 夏休み明けに復学する成海をいじめから守るために知っておきたいはずだ、1年生の頃にいじめていた女子たちの名前を。稚奈は、成海をいじめていた女子たちのことをよく知っている。

「きみに教えてもらわなくても、自分で探せる」

「でも、篠原くんじゃ、なるちゃんを守れないよね?」

 稚奈が秘密を握っているだけではない。他にも問題はある。

「篠原くんは目立っちゃうから、一人の女の子を特別扱いしたら、なるちゃんもっと嫌われちゃうよ?」

 ずっと不登校だった成海が教室に復帰するだけでも目立つのに、咲乃が成海と行動を共にすれば余計に浮いて見えてしまう。わざわざ稚奈が二人の秘密をばらさなくとも、女子たちのヘイトは十分に買える。

「次になるちゃんがいじめられたら、それって篠原くんのせいって事になっちゃうね。なるちゃんが教室に馴染めるように、あーんなに頑張ったのに」

 わざわざ西田や安藤のような、気味の悪い子たちと親しくなって周囲の目を誤魔化そうとしているようだが、果たして成海に対しても、彼らと同じような距離感で接することができるだろうか。

 表情からは、咲乃の感情を窺い知ることはできない。それでも、稚奈の言葉を受けて何を考えているのかはわかった。

「篠原くんが稚奈を振るなんて、無理だよ。だって、稚奈は篠原くんの秘密知ってるし、振られたら腹いせにみんなに喋っちゃうもん。でも、稚奈を篠原くんの彼女にしてくれたら、篠原くんが知りたいこと全部教えてあげられるよ? なるちゃんのことも、守れるかもね!」

 咲乃と稚奈が付き合えば、女子たちの目は稚奈に集まる。その状態であれば、咲乃が成海に接していても目立つことはない。なぜなら成海は、稚奈の親友(・・)だからだ。自分の彼女の親友に、知人(・・)として接している分には不審に思われることはないだろう。

 長い沈黙の末、咲乃は静かに長い睫毛を伏せた。

「わかった」

 その短い返事を聞いて、稚奈の顔がぱぁあっと明るいものに変わる。

「ただし、卒業までだ。それ以降は、きみと付き合う理由はないから」

「平気だよ。だって篠原くん、絶対に稚奈のこと好きになっちゃうもん」

「馬鹿げてる」

 咲乃が呟く。

 稚奈は目を細めて笑った。ねだるように咲乃の服のすそを掴む。
 咲乃は小さく息を吐くと、触れるだけのキスを稚奈の唇に落とした。





 愛花と重田を言い含めて、彩美と神谷は外へ出た。

 早く咲乃たちに追いつこうと、彩美は気持ちばかりが焦って足元がもつれそうになる。歩き慣れない下駄で必死に歩を進めていた彩美だったが、徐々に速度が落ちていく。完全に彩美の足が止まると、先を歩いていた神谷が振り向いた。

「……こんなんじゃ……行けない」

 彩美が悔しそうにつぶやいた。

 こっそり後を追いかけて、様子を窺い見るだけのはずだったのに、静かな住宅街で、彩美の下駄の音が不必要に響いている。
 これでは、後をつけていることを咲乃に気づかれてしまう。下駄なんか履いてこなければよかったと、彩美は今更ながらに後悔した。
 もし咲乃に気付かれたらどう思われるだろう。稚奈との仲が気になるからと色々勘繰られて、良い気のする人なんかいない。後をつけてきたのだと思われたら、きっと咲乃に嫌われてしまう。

「山口って、ここぞって時、マジでヘボだよな」

 呆れて言う神谷に、彩美は怒って神谷に詰め寄った。

「ヘボってなによ!」

「ヘボはヘボだろ。ビビるくらいならやめとけよ」

 認めたくはなかったが、神谷の言葉はもっともだった。嫌われるのが恐ければ、咲乃の帰りを大人しく待っていれば良かったのだから。
 彩美は悔しくて何も言えなかった。奥歯を噛み締めて黙っていると、神谷は彩美の背中を軽く叩いた。

「もういいや。コンビニ寄って帰ろーぜ。三百円までなら貸してやる」

「……うん」

 声が僅かにうわずった。鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。泣いているのを悟られるのは、死んでも嫌だった。

 コンビニでアイスと飲み物を買い、咲乃の家に戻る。その途中で、咲乃の後ろ姿を見つけた。

「おーい、篠原ぁ!」

 神谷が大声で呼びかけると、咲乃が後ろを振り向いた。

「本田のお送りご苦労だったな。飲み物あるけどいる?」

「うん、ありがとう」

 ふわりと微笑んで、神谷から、買ってきた緑茶を受け取る。

 歩きながら、彩美はちらりと咲乃の方を盗み見た。特別変わった様子はない。やっぱり稚奈のことは、何でもなかったのだろうか。
 神谷と咲乃の会話を聞きながら、彩美は黙って咲乃の隣を歩いた。

 静かにそよぐ夜風が心地よく、虫の鳴く音を聞きながら歩く夜道は、なんだか心をふわつかせる。
 些細なことでもいい。ずっと彩美は、咲乃との夏の思い出が欲しかった。お祭りには一緒に行けなかったが、それでもこの時間だけは、ひと夏の大切な思い出になるだろうと、彩美は思った。
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