いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】
ep75 ずっと平和な日々が続くと思ってた。
休日は丸々勉強に費やして、月曜日がやってきた。連日遅くまで勉強していたから、今朝は若干寝不足気味だ。
後でちなちゃんの教室に行ってみようかな。せっかく学校に通ってるのに、たまにLINEするくらいで、ちなちゃんと全然話せてないし。
……ちなちゃん、今日は大丈夫かな。嫌がらせが一時的なものであればいいんだけど……。
登校中に物思いにふけりながら、ぼんやりと空を見上げる。まだまだどこかでセミの声が聞こえていて、いつまでも居座る残暑を疎ましく思った。
ちなちゃんのことは、篠原くんに信じて任せるって決めたんだ。だから、きっとちなちゃんのことは大丈夫。今は、少しでも時間を見つけて暗記をがんばろう。
上履きに履き替え、ふわぁと大きなあくびをした。
考えごとをしていたせいか、後ろから誰かにぶつかるまで足音に気付かなかった。前につんのめって、危うく転びそうになった。驚いて後ろを振り向くと、見覚えのある女の子たちがわたしを囲んでいた。
「こいつ、マジで学校に来てんじゃん。ありさの言うとおりだったわ」
「学校、二度と来んなって言ったよな。なんで来てんだよ」
「また学校がブタ臭くなんの、最悪なんですけどー」
嘲笑。悪意のある人の視線。表出された嫌悪。獲物を見つけた時の悦びの顔。
なじみ深いそれは、最近ではすっかり忘れていたものだった。
1年生の頃のわたしは、呼吸をするたびに喉の奥を突き刺すような、胸や心臓を引き裂くような、針のように鋭く尖った空気を吸って学校に来ていた。でも今は違う。毎日安心して呼吸が出来ていた。
安藤智子ちゃんという、毎日を一緒に過ごしてくれる友達ができたから。
西田くんや神谷くんという、お互いに軽口を叩き合える友達もできたから。
篠原くんが、陰ながら気にかけてくれていたから。
クラスメイトたちは、中途半端な時期に復学したわたしをそっとしておいてくれていたし、相談室に行けば話を聞いてくれる日高先生がいた。
あんなに怖がっていた学校に、わたしもここに居ていいんだと、存在することを許してくれた人たちがいたのだ。
日々を過ごす中で、少しずつ緊張していた心はほぐれた。だから、認識を誤った。わたし自身は何も変わってなんかいないのに。今あるものは全て、篠原くんが作ってくれた世界でしかなかったのだから。
もっと早くその事に気付いていたら、わたしは、のこのこ学校には来なかっただろう。やっぱりここは、わたしの居場所ではなかったのだ。
「なんで来てんだよデブ」
「無視してんなよ、デブ!」
遠藤沙織の取り巻きに囲まれて、行く手を遮られる。肩を押されて、お尻が床にぶつかった。
痛みに呻いていると、遠慮のない笑いが起こる。他の人の迷惑そうに顔をしかめるような視線が、一瞬わたしを見て過ぎ去っていく。
恥ずかしくて、わたしは尻もちをついたまま顔を上げられなかった。
「体臭きっつー」
「臭ぇから学校来んなよデブ」
息ができない。
「なんで来てんだよ」
「帰れよ」
息ができない。
「つうかさ、何で死んでないの?」
視界がかすむ。耳鳴りが酷い。息ができない。
苦しい――苦しい――苦しい――。
いきなり、腕を掴まれてすごい力で引っ張り上げられた。気付くと、目の前に男の子の背中があった。一瞬、篠原くんの背中かと思ったけど、篠原くんは体型的にもっと細いような……。
戸惑って、身長の高いその背中を見上げる。ゆるいパーマがかかった後頭部。
「……ゆ、ま……?」
遠藤さんの声が、動揺して震えた。
「どうして……? なんでいるの? ねぇ!!」
声がだんだん必死なものに変わる。今にも縋り付いてきそうだ。
「そんなの、俺の勝手でしょ」
すごく面倒くさそうに、その人は言った。
「そんなこと……っ! でも、うちは何も聞いて――」
「つーか、沙織さ、いつまでこんなくだらねぇことやってんの。俺達もう3年じゃん」
その人は遠藤さんのことを無視して、今度はわたしの腕を掴んだ。幼さの残る顔立ち、口角の上がった口元、人好きのする顔。
「こんなのいいから、さっさと行こう。津田さん」
「はぇ……」
呆然とした遠藤沙織の目の前で、新島悠真に連れ去られる。
わたしは何が何だか分からないまま、振り返って遠藤さんの様子を見る余裕もなく、流れで一緒に教室まで行くことになってしまった。
*
教室へ向かう途中、お互い何も話すことも無く、わたしは新島くんの前を歩いた。
庇ってくれた。なぜ。新島くんは、人がいじめられているのを見て庇ってあげるような、そんな正義感に満ちたキャラではない。だとしたら、自分の彼女の行動が傍から見て見苦しいと思ったから止めたのだろうか。それとも、単に虫の居所が悪くて、あの状況が煩わしく思っただけだったのだろうか。
きまぐれ。きっと、気まぐれだ。それ以上の理由なんてない。そもそも新島くん、わたしのこと嫌いだったはずだし。
気まずい思いをしたまま教室に到着した。すると、なぜか教室の空気がぴりっと張り詰めたのが分かった。わたしはその不可解な空気に怯んで、教室の入り口の前で足を止めてしまった。
「うしろ、つっかえてんだけど」
「ス……スミマセン……」
後ろから新島くんに急かされて、慌てて道を譲る。
新島くんは教室に入って行くと、どかっと乱暴に自分の席に腰をおろした。クラスメイトたちの視線が、控え目に、気まずげに新島くんの姿を追った。
わたしは、何が何だかわからないまま、この張り詰めた空気がわたしのせいでないことが分かると、おずおずと自分の席に座ってかばんを机の上におろした。
「あれ、悠真もう来てんじゃん、早ぇー」
たった今登校してきた日下くんたち男子たちの登場で、一瞬にして教室内の空気が塗り替えられた。男子たちは、新島くんを囲うように、その場の椅子を借りて座った。
「篠原は?」
新島くんが教室を見渡して、誰にともなく尋ねる。
「本田さんのところじゃね?」
「ふーん」
つまらなそうに新島くんが相槌をうつ。そういえば、新島くんと篠原くんは仲が良かったんだっけ。
一瞬、新島くんと目が合いかけて、わたしは慌てて顔を下げた。じろじろ見ていて、また絡まれたりしたら困る。
智子ちゃん、まだ来ないのかな。わたしは入口の方へ視線を向けた。
「新島くんと村上くん、今日から再登校か……」
新島くんの登場で絶望している人間が他にもいた。わたしが話し声に目を向けると、西田くんが表情を曇らせて、竹内くんと話していた。
「篠原くんがいるから、大丈夫だとは思うけど……」
西田くんたちも、新島くんのことが怖いんだ。わたしもこれから、新島くんや遠藤さんたちに怯えながら学校生活を送るのかと思うと、胃のあたりがキューッっと捻れるような痛みを感じた。
後でちなちゃんの教室に行ってみようかな。せっかく学校に通ってるのに、たまにLINEするくらいで、ちなちゃんと全然話せてないし。
……ちなちゃん、今日は大丈夫かな。嫌がらせが一時的なものであればいいんだけど……。
登校中に物思いにふけりながら、ぼんやりと空を見上げる。まだまだどこかでセミの声が聞こえていて、いつまでも居座る残暑を疎ましく思った。
ちなちゃんのことは、篠原くんに信じて任せるって決めたんだ。だから、きっとちなちゃんのことは大丈夫。今は、少しでも時間を見つけて暗記をがんばろう。
上履きに履き替え、ふわぁと大きなあくびをした。
考えごとをしていたせいか、後ろから誰かにぶつかるまで足音に気付かなかった。前につんのめって、危うく転びそうになった。驚いて後ろを振り向くと、見覚えのある女の子たちがわたしを囲んでいた。
「こいつ、マジで学校に来てんじゃん。ありさの言うとおりだったわ」
「学校、二度と来んなって言ったよな。なんで来てんだよ」
「また学校がブタ臭くなんの、最悪なんですけどー」
嘲笑。悪意のある人の視線。表出された嫌悪。獲物を見つけた時の悦びの顔。
なじみ深いそれは、最近ではすっかり忘れていたものだった。
1年生の頃のわたしは、呼吸をするたびに喉の奥を突き刺すような、胸や心臓を引き裂くような、針のように鋭く尖った空気を吸って学校に来ていた。でも今は違う。毎日安心して呼吸が出来ていた。
安藤智子ちゃんという、毎日を一緒に過ごしてくれる友達ができたから。
西田くんや神谷くんという、お互いに軽口を叩き合える友達もできたから。
篠原くんが、陰ながら気にかけてくれていたから。
クラスメイトたちは、中途半端な時期に復学したわたしをそっとしておいてくれていたし、相談室に行けば話を聞いてくれる日高先生がいた。
あんなに怖がっていた学校に、わたしもここに居ていいんだと、存在することを許してくれた人たちがいたのだ。
日々を過ごす中で、少しずつ緊張していた心はほぐれた。だから、認識を誤った。わたし自身は何も変わってなんかいないのに。今あるものは全て、篠原くんが作ってくれた世界でしかなかったのだから。
もっと早くその事に気付いていたら、わたしは、のこのこ学校には来なかっただろう。やっぱりここは、わたしの居場所ではなかったのだ。
「なんで来てんだよデブ」
「無視してんなよ、デブ!」
遠藤沙織の取り巻きに囲まれて、行く手を遮られる。肩を押されて、お尻が床にぶつかった。
痛みに呻いていると、遠慮のない笑いが起こる。他の人の迷惑そうに顔をしかめるような視線が、一瞬わたしを見て過ぎ去っていく。
恥ずかしくて、わたしは尻もちをついたまま顔を上げられなかった。
「体臭きっつー」
「臭ぇから学校来んなよデブ」
息ができない。
「なんで来てんだよ」
「帰れよ」
息ができない。
「つうかさ、何で死んでないの?」
視界がかすむ。耳鳴りが酷い。息ができない。
苦しい――苦しい――苦しい――。
いきなり、腕を掴まれてすごい力で引っ張り上げられた。気付くと、目の前に男の子の背中があった。一瞬、篠原くんの背中かと思ったけど、篠原くんは体型的にもっと細いような……。
戸惑って、身長の高いその背中を見上げる。ゆるいパーマがかかった後頭部。
「……ゆ、ま……?」
遠藤さんの声が、動揺して震えた。
「どうして……? なんでいるの? ねぇ!!」
声がだんだん必死なものに変わる。今にも縋り付いてきそうだ。
「そんなの、俺の勝手でしょ」
すごく面倒くさそうに、その人は言った。
「そんなこと……っ! でも、うちは何も聞いて――」
「つーか、沙織さ、いつまでこんなくだらねぇことやってんの。俺達もう3年じゃん」
その人は遠藤さんのことを無視して、今度はわたしの腕を掴んだ。幼さの残る顔立ち、口角の上がった口元、人好きのする顔。
「こんなのいいから、さっさと行こう。津田さん」
「はぇ……」
呆然とした遠藤沙織の目の前で、新島悠真に連れ去られる。
わたしは何が何だか分からないまま、振り返って遠藤さんの様子を見る余裕もなく、流れで一緒に教室まで行くことになってしまった。
*
教室へ向かう途中、お互い何も話すことも無く、わたしは新島くんの前を歩いた。
庇ってくれた。なぜ。新島くんは、人がいじめられているのを見て庇ってあげるような、そんな正義感に満ちたキャラではない。だとしたら、自分の彼女の行動が傍から見て見苦しいと思ったから止めたのだろうか。それとも、単に虫の居所が悪くて、あの状況が煩わしく思っただけだったのだろうか。
きまぐれ。きっと、気まぐれだ。それ以上の理由なんてない。そもそも新島くん、わたしのこと嫌いだったはずだし。
気まずい思いをしたまま教室に到着した。すると、なぜか教室の空気がぴりっと張り詰めたのが分かった。わたしはその不可解な空気に怯んで、教室の入り口の前で足を止めてしまった。
「うしろ、つっかえてんだけど」
「ス……スミマセン……」
後ろから新島くんに急かされて、慌てて道を譲る。
新島くんは教室に入って行くと、どかっと乱暴に自分の席に腰をおろした。クラスメイトたちの視線が、控え目に、気まずげに新島くんの姿を追った。
わたしは、何が何だかわからないまま、この張り詰めた空気がわたしのせいでないことが分かると、おずおずと自分の席に座ってかばんを机の上におろした。
「あれ、悠真もう来てんじゃん、早ぇー」
たった今登校してきた日下くんたち男子たちの登場で、一瞬にして教室内の空気が塗り替えられた。男子たちは、新島くんを囲うように、その場の椅子を借りて座った。
「篠原は?」
新島くんが教室を見渡して、誰にともなく尋ねる。
「本田さんのところじゃね?」
「ふーん」
つまらなそうに新島くんが相槌をうつ。そういえば、新島くんと篠原くんは仲が良かったんだっけ。
一瞬、新島くんと目が合いかけて、わたしは慌てて顔を下げた。じろじろ見ていて、また絡まれたりしたら困る。
智子ちゃん、まだ来ないのかな。わたしは入口の方へ視線を向けた。
「新島くんと村上くん、今日から再登校か……」
新島くんの登場で絶望している人間が他にもいた。わたしが話し声に目を向けると、西田くんが表情を曇らせて、竹内くんと話していた。
「篠原くんがいるから、大丈夫だとは思うけど……」
西田くんたちも、新島くんのことが怖いんだ。わたしもこれから、新島くんや遠藤さんたちに怯えながら学校生活を送るのかと思うと、胃のあたりがキューッっと捻れるような痛みを感じた。