いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】
ep77 怒りの矛先
――津田成海という女の子を守ってあげてほしいんだ。
咲乃との約束を果たすため、学校にいる間、悠真はなるべく成海に近づきすぎない距離から、津田成海の様子を窺うようにしていた。
津田成海とは、小学6年生の時に一度同じクラスになったことがある。悠真にとって成海は、デブで不細工な陰キャ女子といった印象しかなく、会話すらしたことが無かったが、ある日彼女が持っていた消しゴムに自分の名前が書かれているのを見た時、悠真は成海に対して強い嫌悪感を抱いた。気持ちが悪かったのだ。こんなブサイクな奴に、気持ちの悪い好意を抱かれていることが。それ以来、津田成海のことはもちろん、容姿の悪い人間に対し、強い嫌悪感を抱くようになった。
咲乃との約束が無ければ、絶対に関わろうとなんてしない。今だって、津田成海と関わらなければならないことが苦痛で仕方ない。
もちろん、咲乃からの頼まれごとだ。どうせ厄介なことだろうと覚悟はしていたが、まさか、津田成海を押し付けられるとは思わなかった。
悠真は、西田や安藤たちと話している津田成海を遠目にうかがいながら、苛立ちまぎれに左足を揺り動かした。何度見たところで腹が立つだけで、得することは何もない。ブサイクでボケた面した、ただのブタだ。
よりによって、なんであいつなんか。
心の奥底から湧き上がる不満に苛立ち、悠真はイライラして成海から目を背けた。
「英、ごめんだけど代わり頼んだ」
視線で成海の方を示すと、日下は肩をすくめた。
「どこへ行くんだ?」
「篠原んとこ」
悠真は背中越しに言葉を放り投げて歩き出すと、廊下を出て、最近咲乃が足繁く通っているという、目的の教室のまで訪れた。開け放たれた入口から、教室の中を覗く。
相変わらずどこにいようと篠原咲乃は目立つ。彼の周りに人が集まるからだ。隣には本田稚奈が、自分のものだといわんばかりに咲乃の腕に自身の腕を巻き付けて寄り添っていた。
何でもない、楽しげな雑談風景だ。そのなかでも咲乃は、ただ控え目に微笑みを浮かべている。
「つまんなそうな顔」
悠真が独り言ちると、通りかかった5組の女子が悠真に気付いた。
「あれ? 新島くん、どうしたの?」
声をかけてきたのは、顔見知りの女子生徒だった。たしか、加奈の知り合いだったはずだ。
悠真は、好い顔で微笑むと、咲乃の方を指差した。
「篠原に用があってさ、入っていい?」
「うん、もちろんいいよ!」
頬を染めてはにかむ女子生徒に笑顔で返しつつ、脇を抜けて真っすぐ教室の中心に入って行く。
稚奈の前に立つと、彼女はくりっとした瞳を大きく見開いて、驚いたように悠真を見上げた。
「どーも」
「新島くん!?」
「こんにちは、本田さん。悪いんだけど、ちょっと篠原に用があるんだよね。しばらく貸してくれないかな?」
お伺いを立てつつ、咲乃の方に視線を移す。答えるまでもなく、咲乃はすでに彼女の腕をやさしくほどいていた。
「ごめんね。行ってくるよ」
「うん、またあとでね」
少しだけ寂しそうな顔をする稚奈に、悠真は謝るように手を合わせた。
「邪魔してごめんね、本田さん!」
悠真は愛想良く手を振りながら、咲乃を連れて教室を出た。
*
人気のない場所までくると、ようやく集団から抜け出せたことに安心したのだろう。咲乃の顔からは、貼り付けたような微笑が取れ、いつものそっけない表情になった。
やっぱり、こっちが篠原の本当の顔だ。
悠真は改めて関心してしまった。外面の良さは悠真も変わりはないが、こうも態度が変わるのを見るといっそ清々しさすら感じる。
壁に背中を預け、咲乃に向き合う。悠真の機嫌はだいぶ良くなっていた。
「本田さんだっけ? 俺も前にちょっとだけ話したことあるけど、いい子だよなぁ。明るくて楽しいし、笑った顔は可愛いし。どうせ守るんなら、やっぱああいう子が良いなぁ」
「津田さんはどうしたの?」
楽しく雑談からでも始めようと思っていたら、ばっさり遮られた。悠真は呆れてゆるゆると頭を振る。なぜ、津田成海のことでそんなに神経質になるのかわからなかった。
「安心しろよ。今は英が見てる」
「俺が頼んだのは新島くんにであって、日下くんじゃない」
咲乃は、冷ややかに悠真を見据えて言った。悠真は表情から笑顔を消すと、まっすぐに咲乃を睨みつけた。
「頼んだ? 押し付けたの間違いだろ。俺に沙織のいじめを止めさせるために。ほんとお前って性格悪いよな」
咲乃は、1年生の頃成海をいじめていた主犯格が悠真の彼女であることを知って、悠真に成海のことを押し付けたのだ。たしかに、悠真ならば沙織のいじめを止めることはできるだろう。悠真がその気になればの話しだが。
「本当に津田を守りたいんなら、俺じゃない方がいいんじゃない? 沙織は嫉妬深いし、自分が嫌いな女を彼氏が庇ってたら、余計津田の立場を悪くするだけだと思うけど。それともあれ? 俺に津田を庇わせることで、沙織に嫌がらせしてる?」
「それもあるけれど」
あんのかよ。悠真は上がった口角が引きつるのを感じた。
「遠藤さんのことは、彼女の思考をよく知る人間のほうが対処しやすいから。新島くんは、遠藤さんをよく知っているでしょう?」
「わかんねぇよ。あいつ、コロコロ感情変わるし」
遠藤沙織は、我が強く気分屋だ。さっきまで機嫌が良かったと思えばすぐ悪くなる。3年近く付き合っていたが、最後まで悠真は、沙織が不機嫌になるポイントがわからずじまいだった。
「あいにく篠原みたいに、可哀想だからって理由だけで、タイプでもない女子を守ってあげるなんてこと出来そうもなくてさ。今じゃ、俺といることの方が危ないんじゃないかな?」
思い出しても腹が立つ。あのボケっとしたブス顔。鈍臭さが滲み出る空気感。ついうっかり、手が出てしまいそうだ。
「そんなに苦手?」
不思議そうな顔で見つめ返されて、マジで聞いてんのかと悠真は目を細めた。
「苦手通り越して、大っ嫌いだけど。つか、知ってて押し付けたんだよな?」
確信を込めて、咲乃を睨んだ。嫌がらせなら、正直にそう言えよと思う。それがはっきりしたところで、文句を言うのをやめるつもりはないのだが。
「話してみれば、すごくいい子なのに」
「あんな根暗キモオタクのどこがだよ」
成海のことを貶すと、咲乃の目の中に険が帯びた。
「あくまで個人的な頼みだって言ったよね。嫌ならやめたって良いけど。一度引き受けた物を、お前の小さなプライドのせいで撤回したいと言うのなら、その程度の人間なんだって認識にしかならない」
咲乃の揺るぎない表情を見て、悠真は少しだけ怯んでしまった。
「……引き受けるにしても、納得させるくらいはあるだろ」
怯んだと思われるのが嫌で、つい不貞腐れたような言い方になってしまう。悠真の不満は膨れるばかりだった。津田成海に少しでも特別な要素があれば納得できるのに、いくら観察したところで、津田からは特別さなど微塵も感じられないからだ。
「お前にとって、津田成海って何?」
教室復帰をしたばかりのクラスメイトを気にかけるのは、学級委員長らしい対応にも思えるが、どうやら、学級委員という立場で気にかけてあげているという感じではなさそうだった。咲乃が西田を庇っていた時とは、どこか違った事情があるような気がする。
咲乃を真っすぐに見つめて悠真が問い詰めると、咲乃は溜息をつき、真っすぐに悠真を見つめ返した。
「友達だよ。去年から、ずっと勉強を見てあげてたんだ」
咲乃は、少しだけ表情を緩めて続けた。
「この学校に転校してきた時、クラスメイトの中に当時不登校だった津田さんがいて、担任に頼まれて配布物を届けるようになってから、色々と気にかけているんだ」
咲乃のその話を聞いて、悠真の中で色んな疑問が腑に落ちた。つまり津田成海は、咲乃が変わろうとして関わった、最初の一人だったというわけだ。
「俺を追い詰めたのも、津田のため?」
悠真が呆れと共に尋ねると、咲乃は何のためらいも無しに、あっさりと首肯した。
「津田さんに教室復帰の話が出た時に、津田さんが安心して登校できるようにしておきたかったんだ。新島くんは、津田さんにとって教室復帰の障害だったし、教室の雰囲気も良くしておきたかったしね」
あまりにもあっさりと、しかもこんなにも清々しく咲乃に邪魔だったと言われてしまい、悠真はげんなりした。
「つまり、篠原は最初から津田のために動いてたってことか」
なぜよりによってあの無能のデブなんだと突っ込みたくはなるが、それこそ理由はないのだろう。たまたまクラスメイトの中に不登校になっていた生徒がいて、近づいてみたら津田成海だったというだけにちがいない。
特別な存在であるはずの咲乃が、なぜ西田のような無能を庇うのかと、訳も分からず苛立っていた自分が馬鹿みたいに思えて、悠真は体中から気が抜けていくのを感じた。咲乃の考えは、もはや悠真には理解できない。あれだけ嫌悪していた成海のことも、もはやどうでもよくなってきてしまった。
「無理に津田さんと仲良くしろだなんて言わないよ。津田さんもきみのことを怖がってるし、本来なら近づけさせたくはなかったんだ。だけど、今はそれどころでは無くなってしまった」
咲乃は残念そうに視線を落とすと、窓に頭を預けて外を眺めた。窓の反射から、咲乃の瞳の中に、眩しいほどの空模様が映り込み、ゆっくりと雲が流れていくのが見える。
「それに俺は、新島くんを買っているんだよ。きっと、俺には出来ないことをやってくれるって。だから、託したんだ。きみなら、津田さんを守れる」
預けていた頭を上げ、あらためて悠真へ顔を向ける。柔らかく微笑む咲乃に、悠真の瞳が揺らいだ。
咲乃に認められているものが、悠真にはわからなかった。わからないものを引き合いに出されて成海のことを押し付けられても、素直に受け取ることができない。
悠真は、苦虫をかみつぶしたような顔をして、咲乃から視線を逸らした。
「わかったよ。出来る限りはやってやる」
咲乃との話を終え、悠真が教室に戻ると、津田成海は何事もなく西田たちと過ごしていた。
咲乃に敗北してからというもの、悠真はまるで全身から空気が抜けたように何の気力も湧かなくなっていた。あんなに恐れていた、自分が空っぽであるという事実に対しても、今は何も感じない。だからわからない。咲乃が悠真を買う理由が。咲乃が自分の何に価値を見出しているのか。
悠真には、自分の価値すらわからなくなっているのに。
咲乃との約束を果たすため、学校にいる間、悠真はなるべく成海に近づきすぎない距離から、津田成海の様子を窺うようにしていた。
津田成海とは、小学6年生の時に一度同じクラスになったことがある。悠真にとって成海は、デブで不細工な陰キャ女子といった印象しかなく、会話すらしたことが無かったが、ある日彼女が持っていた消しゴムに自分の名前が書かれているのを見た時、悠真は成海に対して強い嫌悪感を抱いた。気持ちが悪かったのだ。こんなブサイクな奴に、気持ちの悪い好意を抱かれていることが。それ以来、津田成海のことはもちろん、容姿の悪い人間に対し、強い嫌悪感を抱くようになった。
咲乃との約束が無ければ、絶対に関わろうとなんてしない。今だって、津田成海と関わらなければならないことが苦痛で仕方ない。
もちろん、咲乃からの頼まれごとだ。どうせ厄介なことだろうと覚悟はしていたが、まさか、津田成海を押し付けられるとは思わなかった。
悠真は、西田や安藤たちと話している津田成海を遠目にうかがいながら、苛立ちまぎれに左足を揺り動かした。何度見たところで腹が立つだけで、得することは何もない。ブサイクでボケた面した、ただのブタだ。
よりによって、なんであいつなんか。
心の奥底から湧き上がる不満に苛立ち、悠真はイライラして成海から目を背けた。
「英、ごめんだけど代わり頼んだ」
視線で成海の方を示すと、日下は肩をすくめた。
「どこへ行くんだ?」
「篠原んとこ」
悠真は背中越しに言葉を放り投げて歩き出すと、廊下を出て、最近咲乃が足繁く通っているという、目的の教室のまで訪れた。開け放たれた入口から、教室の中を覗く。
相変わらずどこにいようと篠原咲乃は目立つ。彼の周りに人が集まるからだ。隣には本田稚奈が、自分のものだといわんばかりに咲乃の腕に自身の腕を巻き付けて寄り添っていた。
何でもない、楽しげな雑談風景だ。そのなかでも咲乃は、ただ控え目に微笑みを浮かべている。
「つまんなそうな顔」
悠真が独り言ちると、通りかかった5組の女子が悠真に気付いた。
「あれ? 新島くん、どうしたの?」
声をかけてきたのは、顔見知りの女子生徒だった。たしか、加奈の知り合いだったはずだ。
悠真は、好い顔で微笑むと、咲乃の方を指差した。
「篠原に用があってさ、入っていい?」
「うん、もちろんいいよ!」
頬を染めてはにかむ女子生徒に笑顔で返しつつ、脇を抜けて真っすぐ教室の中心に入って行く。
稚奈の前に立つと、彼女はくりっとした瞳を大きく見開いて、驚いたように悠真を見上げた。
「どーも」
「新島くん!?」
「こんにちは、本田さん。悪いんだけど、ちょっと篠原に用があるんだよね。しばらく貸してくれないかな?」
お伺いを立てつつ、咲乃の方に視線を移す。答えるまでもなく、咲乃はすでに彼女の腕をやさしくほどいていた。
「ごめんね。行ってくるよ」
「うん、またあとでね」
少しだけ寂しそうな顔をする稚奈に、悠真は謝るように手を合わせた。
「邪魔してごめんね、本田さん!」
悠真は愛想良く手を振りながら、咲乃を連れて教室を出た。
*
人気のない場所までくると、ようやく集団から抜け出せたことに安心したのだろう。咲乃の顔からは、貼り付けたような微笑が取れ、いつものそっけない表情になった。
やっぱり、こっちが篠原の本当の顔だ。
悠真は改めて関心してしまった。外面の良さは悠真も変わりはないが、こうも態度が変わるのを見るといっそ清々しさすら感じる。
壁に背中を預け、咲乃に向き合う。悠真の機嫌はだいぶ良くなっていた。
「本田さんだっけ? 俺も前にちょっとだけ話したことあるけど、いい子だよなぁ。明るくて楽しいし、笑った顔は可愛いし。どうせ守るんなら、やっぱああいう子が良いなぁ」
「津田さんはどうしたの?」
楽しく雑談からでも始めようと思っていたら、ばっさり遮られた。悠真は呆れてゆるゆると頭を振る。なぜ、津田成海のことでそんなに神経質になるのかわからなかった。
「安心しろよ。今は英が見てる」
「俺が頼んだのは新島くんにであって、日下くんじゃない」
咲乃は、冷ややかに悠真を見据えて言った。悠真は表情から笑顔を消すと、まっすぐに咲乃を睨みつけた。
「頼んだ? 押し付けたの間違いだろ。俺に沙織のいじめを止めさせるために。ほんとお前って性格悪いよな」
咲乃は、1年生の頃成海をいじめていた主犯格が悠真の彼女であることを知って、悠真に成海のことを押し付けたのだ。たしかに、悠真ならば沙織のいじめを止めることはできるだろう。悠真がその気になればの話しだが。
「本当に津田を守りたいんなら、俺じゃない方がいいんじゃない? 沙織は嫉妬深いし、自分が嫌いな女を彼氏が庇ってたら、余計津田の立場を悪くするだけだと思うけど。それともあれ? 俺に津田を庇わせることで、沙織に嫌がらせしてる?」
「それもあるけれど」
あんのかよ。悠真は上がった口角が引きつるのを感じた。
「遠藤さんのことは、彼女の思考をよく知る人間のほうが対処しやすいから。新島くんは、遠藤さんをよく知っているでしょう?」
「わかんねぇよ。あいつ、コロコロ感情変わるし」
遠藤沙織は、我が強く気分屋だ。さっきまで機嫌が良かったと思えばすぐ悪くなる。3年近く付き合っていたが、最後まで悠真は、沙織が不機嫌になるポイントがわからずじまいだった。
「あいにく篠原みたいに、可哀想だからって理由だけで、タイプでもない女子を守ってあげるなんてこと出来そうもなくてさ。今じゃ、俺といることの方が危ないんじゃないかな?」
思い出しても腹が立つ。あのボケっとしたブス顔。鈍臭さが滲み出る空気感。ついうっかり、手が出てしまいそうだ。
「そんなに苦手?」
不思議そうな顔で見つめ返されて、マジで聞いてんのかと悠真は目を細めた。
「苦手通り越して、大っ嫌いだけど。つか、知ってて押し付けたんだよな?」
確信を込めて、咲乃を睨んだ。嫌がらせなら、正直にそう言えよと思う。それがはっきりしたところで、文句を言うのをやめるつもりはないのだが。
「話してみれば、すごくいい子なのに」
「あんな根暗キモオタクのどこがだよ」
成海のことを貶すと、咲乃の目の中に険が帯びた。
「あくまで個人的な頼みだって言ったよね。嫌ならやめたって良いけど。一度引き受けた物を、お前の小さなプライドのせいで撤回したいと言うのなら、その程度の人間なんだって認識にしかならない」
咲乃の揺るぎない表情を見て、悠真は少しだけ怯んでしまった。
「……引き受けるにしても、納得させるくらいはあるだろ」
怯んだと思われるのが嫌で、つい不貞腐れたような言い方になってしまう。悠真の不満は膨れるばかりだった。津田成海に少しでも特別な要素があれば納得できるのに、いくら観察したところで、津田からは特別さなど微塵も感じられないからだ。
「お前にとって、津田成海って何?」
教室復帰をしたばかりのクラスメイトを気にかけるのは、学級委員長らしい対応にも思えるが、どうやら、学級委員という立場で気にかけてあげているという感じではなさそうだった。咲乃が西田を庇っていた時とは、どこか違った事情があるような気がする。
咲乃を真っすぐに見つめて悠真が問い詰めると、咲乃は溜息をつき、真っすぐに悠真を見つめ返した。
「友達だよ。去年から、ずっと勉強を見てあげてたんだ」
咲乃は、少しだけ表情を緩めて続けた。
「この学校に転校してきた時、クラスメイトの中に当時不登校だった津田さんがいて、担任に頼まれて配布物を届けるようになってから、色々と気にかけているんだ」
咲乃のその話を聞いて、悠真の中で色んな疑問が腑に落ちた。つまり津田成海は、咲乃が変わろうとして関わった、最初の一人だったというわけだ。
「俺を追い詰めたのも、津田のため?」
悠真が呆れと共に尋ねると、咲乃は何のためらいも無しに、あっさりと首肯した。
「津田さんに教室復帰の話が出た時に、津田さんが安心して登校できるようにしておきたかったんだ。新島くんは、津田さんにとって教室復帰の障害だったし、教室の雰囲気も良くしておきたかったしね」
あまりにもあっさりと、しかもこんなにも清々しく咲乃に邪魔だったと言われてしまい、悠真はげんなりした。
「つまり、篠原は最初から津田のために動いてたってことか」
なぜよりによってあの無能のデブなんだと突っ込みたくはなるが、それこそ理由はないのだろう。たまたまクラスメイトの中に不登校になっていた生徒がいて、近づいてみたら津田成海だったというだけにちがいない。
特別な存在であるはずの咲乃が、なぜ西田のような無能を庇うのかと、訳も分からず苛立っていた自分が馬鹿みたいに思えて、悠真は体中から気が抜けていくのを感じた。咲乃の考えは、もはや悠真には理解できない。あれだけ嫌悪していた成海のことも、もはやどうでもよくなってきてしまった。
「無理に津田さんと仲良くしろだなんて言わないよ。津田さんもきみのことを怖がってるし、本来なら近づけさせたくはなかったんだ。だけど、今はそれどころでは無くなってしまった」
咲乃は残念そうに視線を落とすと、窓に頭を預けて外を眺めた。窓の反射から、咲乃の瞳の中に、眩しいほどの空模様が映り込み、ゆっくりと雲が流れていくのが見える。
「それに俺は、新島くんを買っているんだよ。きっと、俺には出来ないことをやってくれるって。だから、託したんだ。きみなら、津田さんを守れる」
預けていた頭を上げ、あらためて悠真へ顔を向ける。柔らかく微笑む咲乃に、悠真の瞳が揺らいだ。
咲乃に認められているものが、悠真にはわからなかった。わからないものを引き合いに出されて成海のことを押し付けられても、素直に受け取ることができない。
悠真は、苦虫をかみつぶしたような顔をして、咲乃から視線を逸らした。
「わかったよ。出来る限りはやってやる」
咲乃との話を終え、悠真が教室に戻ると、津田成海は何事もなく西田たちと過ごしていた。
咲乃に敗北してからというもの、悠真はまるで全身から空気が抜けたように何の気力も湧かなくなっていた。あんなに恐れていた、自分が空っぽであるという事実に対しても、今は何も感じない。だからわからない。咲乃が悠真を買う理由が。咲乃が自分の何に価値を見出しているのか。
悠真には、自分の価値すらわからなくなっているのに。