いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】

ep79 追いかけた先に見たもの

 咲乃と付き合ってから稚奈が目立っているというのもあり、稚奈の嫌がらせの話は3年生全体が知るものとなっていた。いやがらせの件は、当然教師側にも伝わり、ある日3年生のみが体育館に集められて、今回の件についての話がなされた。被害者である稚奈の名前は伏せられ、「もう3年生にもなるのだから、こんなくだらないことはやめるよう」長々とした説教がなされたが、犯人が分からない以上は、結局何の抑止力にもなっていない。

 稚奈に対する嫌がらせは未だに続いているらしく、稚奈の私物がゴミ捨て場で発見されたり、稚奈の机の中やロッカーの中が荒らされたり、稚奈がトイレの個室に入っているときに、誰かにドアを蹴られたりなど、様々ないやがらせの被害にあったようだ。
 毎日のようにある嫌がらせに怯えている稚奈に、友達の女の子たちが憤っているのを、あるとき彩美は見かけたことがあった。

「稚奈ちゃんにこんなことするなんて、絶対に許せない!」

「ほんとそう。嫉妬剥き出しで、マジダサいよね。そんなやつが稚奈に敵うわけないじゃん!」

「そうそう。篠原くんは稚奈ちゃんのモノなんだから、いい加減諦めろよって感じだよね」

「稚奈、気にしちゃダメだよ? 稚奈にはウチらがいるから、何かあったら言ってね?」

 友達に励まされると、稚奈は弱々しく微笑んで「ありがとう」と答える。彩美はその様子を見て、寒々しさを覚えた。本当は、咲乃と付き合っている本田稚奈が羨ましくて仕方がない癖に。
 もし、稚奈が咲乃と別れるようなことがあれば、彼女たちは嬉々として同じことを言うのだろうか。「稚奈にはウチらがいるから、何かあったら言ってね?」と。

 彩美は、稚奈に同情などしていなかった。咲乃のような人気の男子を恋人にするのだから、嫉妬されて当然だ。咲乃と付き合えるのであれば、彩美ならどんな嫌がらせや悪口を屁とも思わなかっただろう。嫌がらせを受けてメソメソしているだけの稚奈を見ていると、怒りや呆れを通り越して疑問が湧いてきてしまう。咲乃は、稚奈の何が良くて付き合うことにしたのだろうと。ただ単純に、よく見知った女の子だったから付き合うことにしたのだろうか。幼稚なだけで何のとりえもない、あの本田稚奈(バカおんな)なんかと。



 掃除の時間、彩美は愛花に協力してもらって掃除の班を抜け出すと、咲乃がいる第二理科室へ向かった。掃除をさぼって第二理科室まで訪れた彩美に咲乃は驚いたが、彩美が「本田さんについて大事な話がある」と言うと、咲乃は彩美の誘いに応じた。

「本田さんのことで大事な話ってなに?」

 屋上へ向かう階段の踊り場まで訪れると、咲乃は彩美に尋ねた。

 彩美は、今にもくじけそうになる気持ちを奮い立たせて、まっすぐに咲乃の目を見つめて言った。

「篠原くん、本当に篠原くんは、本田さんのことが好きなの?」

 彩美の問いかけに、咲乃は困惑したように彩美を見た。

「なぜ、そんなことを?」

 今度は咲乃に尋ねられて、彩美は一度目を伏せると、そっと息を吸い込んで言った。

「余計なお世話だってことは分かってるの。でも、どうしても納得できなくて……」

 彩美から見ても、稚奈が咲乃に恋をしていることは、いやになるほど伝わってくる。稚奈が咲乃を見るときは、いつも夢を見るようなキラキラした瞳で彼を見つめていたから。咲乃に寄り添う稚奈は、心の底から咲乃を頼りにしていて、安心しきった表情をしていた。
 しかし彩美は、咲乃が稚奈に対して想う気持が全く違うもののように見えていた。

「私には、本当に篠原くんが、本田さんのことを好きなようには見えないの。だって篠原くん、何だか無理してるみたいに見えるし……」

 ずっと彼を見てきたからこそわかる。もしかして、篠原くんには――。

「本田さんと……付き合わなきゃいけない理由があるんじゃない?」

 また、こんな踏み込んだことを聞いて怒らせたくはなかったが、どうしても確かめずにはいられなかった。もし、咲乃が無理をしているのなら、見過ごすことなどできない。

「なぜ」

 咲乃は、戸惑った表情をして尋ねた。

「山口さんは、それを確かめてどうしたいの?」

「どうしたいっていうか……。だって……心配、だったから」

 またしても拒絶されるときの空気が流れ始めているのを感じながらも、彩美は負けじと言葉を続けた。

「それに篠原くん、本田さんが好きな感じ、全然しなかったし……」

 彩美が違和感を覚えた理由は他にもある。噂がまわるまで、重田が咲乃と稚奈が付き合っていることを知らなかったからだ。つまり咲乃は、重田にさえ彼女ができたことを言わなかったのことになる。恋人が出来て、仲のいい男友達にも言わないなんてことがあるだろうか。
 重田は軽率に誰彼構わず言いふらすようなタイプではないし、彼の誠実さには、咲乃が一番信頼を置いているはずだ。その重田にさえ、付き合っていることを黙っていたのはおかしいのでは、と彩美は感じていた。

 他にもおかしいと思うことはまだある。それは、神谷の様子だ。普段の神谷だったなら、咲乃に恋人ができたとなれば、絶対に面白がってネタにしたはずだ。しかし神谷は、ふたりが付き合っていることを知った後でも、からかったりはやし立てたりするそぶりも見せなかった。下世話な話が三度の飯よりも大好物なあの神谷が、だ。

 学校で、咲乃と付き合っていると一方的に言いふらしていたのは、いつも稚奈だけだった。咲乃はむしろ、稚奈と付き合っていることを積極的に言うつもりは無かったように思える。

「俺が本田さんのことをどう思っているか、改めて山口さんに伝える必要はある?」

「そ、それは……」

「俺が本田さんを好きだと言ったら、山口さんは満足してくれるの」

 冷静な口調で咲乃に問われ、彩美は息を呑んだ。目の奥が熱くなり、咄嗟に目を伏せる。

「わ、私……、やっぱり……」

 聞きたくない。

 咲乃はきっと稚奈のことが好きで付き合っているわけではない。そう確信していたはずなのに、咲乃にそう問われて、その確信はあっけなく萎れてしまった。
 もし、咲乃の口から聞いてしまったら、きっと彩美は立ち直れない。咲乃が、稚奈のことが好きだなんて、死んでも聞きたくはなかった。

 咲乃は息を吐き、彩美の目を覗き込んだ。

「心配してくれて、ありがとう。でもね、山口さん」

 恐る恐る彩美が咲乃の目を見ると、その目に彩美を咎める色はなかった。

「本田さんのことを言うのは、これだけにしてくれるかな」

 彩美は今にも、泣きそうなのを必死にこらえてうつむいた。また、拒絶された。これで二度目だ。咲乃に近づきたいと思っているのに、いつも裏目に出る。
 握り締めた両手のひらに爪が食い込む。穏やかな咲乃の声色に、泣いてしまいそうだった。

「今は、山口さんに構っている余裕がないんだ、ごめんね」

 そう言って咲乃は、彩美を置いてその場から立ち去った。





 納得なんかできるはずはない。絶対に咲乃は、稚奈が好きなわけじゃない。きっと、何か理由があって付き合っているんだ。

 掃除の時間が終わっても、納得がいかないまま、悶々とずっと同じことばかりを考えてしまう。彩美はどうしても、諦めることができず、放課後に咲乃と稚奈の後をつけた。

 昇降口に向かう生徒たちの流れに混ざり、ふたりに気づかれないよう、一定の距離を保って慎重に後をつける。ふいに稚奈が、咲乃の制服の裾を躊躇うようにつまんだ。咲乃はその手首を掴むと、稚奈を引き込むように廊下の角を曲がる。予想もしていなかった方向に消えて、彩美は驚いて足を速めた。廊下の奥へ進む。空き教室が連なるエリアにたどり着く。今までうるさいくらいだった生徒たちの声は、遥か遠くに聞こえている。

 再びふたりが廊下を曲がった時、ふたりの姿を見失って一瞬焦った。足音に耳をそば立てる。人気(ひとけ)がなくなった廊下の角、階段下の隅のところで、わずかにふたりの声が聞こえた気がした。

 彩美は声のした方へ急ぐと、そっと角から覗き――すぐに顔をひっこめた。一瞬息が出来なくなって、今にも倒れてしまいそうな眩暈に、膝から崩れ落ちそうになる。心臓が痛いくらいに激しく脈打っていた。

 ――壁に押し付けられた稚奈の手。絡められた指。稚奈の息遣い。上気した頬。僅かに立てる、唇が触れ合う音。慣れないながらも必死に応えようとする、苦しそうな稚奈の表情――。

 彩美は、息をするのも苦しいほどに声を押し殺して泣いた。逃げるように走って、走って、走って、必死に走って、ようやく足が止まる。

 気づけば校舎を出ていた。足元を見ると、上履きのままだ。せっかくきれいにしたのに、土埃で汚れている。

 力が抜けてしゃがみ込んだ。拭っても拭っても、涙はとめどなく溢れてきた。喉が焼けるように熱い。嗚咽が止まらない。心の中はぐちゃぐちゃなのに、頭は鮮明に今見た光景を思い出す。

 互いの感触を確かめ合うような、大人がするキスだった。篠原くんの顔も、いつもとなんだか違っていて、すごく色気をびていて――。あの時一瞬だけ、篠原くんと目が合ったような気がした。

 胸が締め付けられる。痛くて苦しくて、息もできない。彩美は必死に制服のポケットを探った。今すぐ誰かと話したかった。誰かに助けて欲しかった。

 愛花に、愛花ならきっと。

 ――誰か……、誰か、助けて――!!

 ポケットから取り出したスマホが、するりと手から抜けて地面に落ちた。膝をつき、震える手を伸ばす。もう少しでスマホに指先が触れかけたところで、誰かの手がスマホを拾った。

「上履きのまま何やってんの、お前」

 彩美は、絶望に息をつめる。今この瞬間、世界で一番、会いたくなかった人の声がした。
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