いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】

ep95 悪夢の再来

 ガンッ!

 強く肩を掴まれると、トイレのパーテーションに押し付けられた。大きな音が、女子トイレ内に響く。トイレのパーテーションを背に追いやられて、わたしは恐怖に肩をすくめた。

 トイレの個室から出ると、遠藤沙織と、その取り巻きが、わたしの前に立ちはだかっていた。遠藤さんは目の端をこれ以上ないほどに吊り上げ、わたしを見下ろしている。
 中1の頃の、わたしを見るときのあの目だった。世の中のために、わたしは存在ごと今すぐ消えるべきだと、まるでそれが正義なんだと言わんばかりの目。

「……な……なん、ですか……?」

 咄嗟に出てきた言葉は、あまりの恐怖に真っ白になってしまった思考に対して、今何が起こっているのかを必死に理解しようとして出た言葉だった。

 瞬間、頬に刺すような痛みが走る。叩かれた痛みで、じんじんとしびれるような熱を感じた。

「あんたさ、何、ブスの癖に悠真にすり寄ってんの?」

「ご、誤解です! 新島くんにすり寄ってなんか――」

 さっきよりも鋭い痛みが、反対側の頬に走った。

「嘘。悠真に庇ってもらったからって、調子乗ってんでしょ? 不登校が久しぶりに学校に来て、同情買って守ってもらってんの? そんなんで、あいつがテメェになびく分けねぇだろ!」

 新島くんのことは好きではないと何とか弁明しようとして、遠藤沙織に制服を掴まれた。激しく揺すられ、パーテーションにぶつけられ、衝撃で声が出ない。

「来いよ。今からおまえ、公開処刑な」

「やだやだ!! 痛い痛い!!」

 髪の毛を掴まれると、わたしは引きずられるようにして女子トイレから出た。髪の毛が引っ張られる痛みに、涙と鼻水がとめどなく流れる。
 わたしは痛みに訳も分からず混乱しながらも、必死になって持っていたカバンを振り回した。一瞬、遠藤沙織の手が緩んだのを見計らって、急いでその場から逃げ出した。


 公民館を出ると、外はじっとりと水分を含んだ空気に満ちていた。鼻先に雫が当たって、もうすぐ雨が降るのだと分かった。

「……そうだ、……新島くん!」

 助けを……助けを呼ばなくちゃ!

 わたしは持っていたカバンを開き、スマホを探す。しかし、すぐ後ろから追いかけて来る足音がして、わたしはスマホを探すのを諦めて公民館の建物の裏にまわった。

 公民館の裏側は、専用駐車場になっていた。職員のものと思われる車が数台停まっている。
 じゃばら状のゲートが開いているのを見つけた。あそこから、公民館の外へ出られる。わたしはゲートに向かって走った。

 ゲートに向かう途中、わたしは足を止めた。ゲートの外から、数名の若い男の話声が聞こえてきたのだ。
 わたしは咄嗟に車の陰に身を隠すと、車の陰から様子を窺った。わたしよりも年上の青年たちが、ゲートの外から駐車場に入って来るのが見える。

「おい、デブどこだよ!」

「隠れてんじゃねぇぞ、津田成海!」

「迷子のお知らせでーす。英至中の制服を着たブタが一匹迷い込んでしまいました。見かけた方は、サービスセンターまでお連れくださーい」

 ふざけて言いながら、ゲラゲラ嗤っている。あの人たち、きっと遠藤さんの知り合いだ。

 わたしはその場にしゃがみ込んで、ぎゅっとカバンの持ち手を握り締めた。見つかった時のことを頭に浮かべて、いつでもカバンを振り回せるよう、心の準備をすり。息を殺して、車の陰から様子を窺った。

 青年たちはふざけたことを口にしながら、近くにあった車の陰を数台確認しただけで行ってしまった。探すのが面倒だったのか、本気で見つけるつもりはなかったらしい。
 男たちが過ぎ去った後、苦しくなって止めていた息を吐きだした。緊張しすぎて心臓が痛い。わたしは身をかがめたまま、いそいそと駐車場を出た。


 公民館から離れるまで、安心はできなかった。早くその場から離れたくて必死に走った。顔を濡らす雨粒がどんどん大きくなっていく。そしてすぐに本格的に振り出し、大雨に変わった。

 水滴が眼鏡の前に流れ落ちて、視界が見えにくくなる。眼鏡をはずして、雨水で滲んでぼやけた視界の中をひたすら目を凝らして走る。水をたっぷり吸い込んだ制服のブレザーは、甲冑を着たみたいに重たかった。ブラウスの中まで、冷たい水が染み込んでくる。足を動かすたびに、スカートがふくらはぎにまとわりつく。必死に走っているのに、気持ちが逸って前に進んでいる感じが全くしなかった。
 苦しくて、今にも肺が敗れそう。心臓の鼓動が、ガンガンと頭にまで響いてくる。目の前がチカチカして吐きそうだ。

 もう走るのにも限界が来て、足が止まった。息をするだけで精一杯で、しばらく膝に手をついて、ゼイハァ息を切らして喘いだ。
 後ろから、車のライトが一瞬わたしを照らして追い越していく。通り過ぎざま、大きな水しぶきをかけられた。惨めさよりも、今は必死さが上回っていて、全身がびしょ濡れになっても気にしていられる余裕はなかった。

 とにかく早く、早く家に帰りたい。

 ようやく歩き始めた頃、後ろからバイクのライトに照らされていることに気付いた。気にせず歩いていると、後ろから来たバイクの速度が、徐々に緩んでいることに気付く。バイクの不信な動きに気づいて、わたしは後ろを振り向いた。

 黒いフルフェイスのヘルメットに、黒いレインウェアを着ている。体格的には男性だ。そのまましばらく並走するように走った後、わたしの横を通り過ぎて行った。

 気持ち悪い。なんなんだろう。

 頭の端に危険信号のようなものを感じて、わたしはカバンの持ち手を握り締めた。
 バイクが数メートル先まで走ったところで、突然、唸るようなエンジン音とともに大きな水しぶきを上げて、わたしの行く先を塞ぐように急停止した。

 突然のことに、わたしは立ち止まったまま動けなかった。黒いヘルメットをかぶった男が、わたしに向かって手を伸ばす。

「……ヒッ」

 わたしは咄嗟に大声を上げて、自分でもなにを叫んだのかもわからないまま、持っていたバッグを必死に振り回した。そして、バッグごと男に投げつけると、わたしはそのまま反対方向に走り出した。
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