いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】
「でも、芦輪さん言ってたよ? 篠原くんにばらされたくなかったら、自分の言うとおりにするよう脅されたって。本田さん、篠原くんの気をひきたくて、芦輪さんにそんなことをさせてたんでしょ?」

「ひどいよ……山口さん! 実生ちゃんの嘘を信じちゃうなんて……っ! 稚奈、絶対にそんなことしてないもん!」

 稚奈が、泣きそうな顔で彩美を責めた。
 これでは話は平行線だ。彩美は、再びスマホを取り出すと、咲乃からもらった音声データを流した。稚奈が実生を脅していた時の音声データだ。

 音声が流れている間、稚奈の顔からはどんどん表情がなくなっていった。ここまでくれば、もう言い逃れは出来ない。稚奈は俯き下唇を噛みながら、肩を震わせている。
 音声が途切れると、彩美は勝ち誇った笑みを浮かべて稚奈を見た。

「私ね、これを聞いた時本当にびっくりしたの。だって、本田さんたち、すごく仲が良さそうだったのに。みんな、本田さんが篠原くんと付き合ったこと、本気で喜んでるんだなって思ってたもん。でも違ったんだ。芦輪さんも、松浦さんも、みーんな、本田さんに幸せになってほしいなんて思ってなかったんだね!」

 彩美がこれ以上ないほど嬉しそうに嗤うと、稚奈は怒った顔をして、自分が濡れるのも構わず彩美に掴みかかろうとした。

「暴力はだめだよ、本田さん」

 稚奈の足が止まった。血の気の引いた顔で、玄関の方を振り向く。

「……しの、はら、くん……」

 咲乃が傘をさしてふたりのもとまで歩いてくると、濡れている稚奈に傘を差しだした。

「き、聞いてたの?……ち、ちがうの、篠原くん。稚奈、本当にこんなことしてなくて……」

「もう、全部知ってる。本田さんがしたこと、全部」

 咲乃が静かに告げると、稚奈は顔全体に絶望を貼り付けて、唇を戦慄かせた。





 雨は降り続いている。稚奈は拳をにぎり、うつむいて立ちすくんでいた。

 彩美は、咲乃が自分になにをさせたかったのかようやく理解した。咲乃は彩美に証人になってほしかったのだ。この関係を終わらせるための証人を、終わったことを証明する証人を。

 彩美は、稚奈に目を移した。稚奈は手の甲が白くなるほどに拳を固く握りしめると、突然なにかが吹っ切れたかのように、握っていた拳をふっと緩めた。

「あーあ。まさか、篠原くんにもバレちゃうなんて。実生ちゃんがいやがらせの犯人だってわかった時、稚奈、ラッキーって思ったのになぁ」

「ラッキーって……」

 全く反省のない稚奈の言葉に、彩美は眉をひそめる。
 稚奈の、子供っぽく無邪気ではつらつとした声は、雨の中でもよく響いた。

「だって、実生ちゃんに盗んでもらえば、お母さんに新しいもの買ってもらえたんだもん。みんなには同情してもらえるし、稚奈は新しいものを買ってもらえるし、一石二鳥でラッキーじゃん?」

 実生に盗ませていたものは全て、すぐに買い換えられるものだったし、汚されたジャージは、洗えばすぐに落ちる程度の汚れだ。稚奈には痛手など何一つない。そんな何一つ痛手のない嫌がらせに対して、みんな稚奈を心配した。両親も、先生も、友達も、そして咲乃も。
 嫌がらせを受けている間、稚奈は守られるべき対象として、悲劇のヒロインでいられたのだ。

「実生ちゃんも、ホントにバカだよね。弱み握られて、すぐ稚奈の言いなりになっちゃうんだもん。ビビるくらいなら、最初から嫌がらせなんてしなければいいのに」

 呆れたように眉を下げて嗤う稚奈を、彩美は冷ややかな気持ちで見つめていた。所詮、女同士の友情は、恋愛を前にすると脆い。好きな男が重なると、一番の親友だと称していた友情は、あっという間に修羅と化す。
 やはり、彩美の見立ては初めから間違ってはいなかった。咲乃を自分の装飾品(アクセサリー)のように見せびらかしていた稚奈も、その周りでふたりの仲を祝福していた友人たちも、内心では全く違った感情がそこに存在していた。

 彩美はふと、咲乃の方を盗み見る。咲乃はなぜ稚奈と別れずに、こんな茶番に付き合っていたのだろう。こんな茶番に付き合わされることは、一番、彼が嫌いそうなのに。

「俺が聞きたいのはそれだけじゃない」

 咲乃は、稚奈に傘を傾けたまま、静かに言った。

「遠藤さんに、津田さんを売った?」

 咲乃の言葉に、稚奈の表情は途端に血相を変えた。

「なんで!? なんで、山口さんの前で言っちゃうの!?」

 先程とは打って変わって、焦った形相で稚奈が叫ぶ。

「津田さん……て?」

 彩美は、知らない名前に困惑した。答えを求めるように、稚奈と咲乃を交互に見た。

「とぼけないで。1年の時、津田さんが新島くんに憧れていたことを遠藤さんに喋ったのはキミだよね?」

 咲乃が冷ややかに尋ねると、稚奈は悔しそうに表情を歪め、押し殺した声で答えた。

「……なるちゃんは、最初から……最初から、沙織ちゃんに目をつけられてたもん」

「でも、いじめを決定づけたのはキミだった。キミが、津田さんを疎んでいたから」

「ちがうの、篠原くん!」

「中学生デビューがしたかった? 新しい自分に生まれ変わりたかったから、津田さんが邪魔だった? 誰からも見下される彼女と同類だなんて思われたくなかった?」

「……ちっ……ちがっ!」

「今日だって、津田さんが謝りに来るのを分かっていて、わざと皆の前で追い詰めたよね。俺が津田さんを庇えないのをわかっていて。津田さんがひとりになったところを、遠藤さんが狙えるように」

「話を聞いてってば!」

「最初から津田さんを親友だなんて思ったことはなかった。自分でそう言っただろ!」

 咲乃の怒鳴った声を聞いたのは初めてだ。彩美は驚きすぎて、一瞬、背後で水が跳ねる音をしたのに気付かなかった。咲乃と稚奈も、その音に気付いたのは、彩美よりも少し遅れてからだった。

 みんなの視線が、音がした方へ行く。そこには全身をびしょ濡れにさせた、太った女の子が立っていた。走って来たのか、呼吸が酷く乱れている。雨に打たれ続けたせいか、顔色はかなり酷い。

 彩美は、はじめその子が誰だか分からなかったが、その子が稚奈の友達のひとりで、咲乃のお見舞いにも来ていたのを思い出した。

「……ぁ……ぁぁ……」

「津田さん……!」

 言葉にならない声を漏らしながら後ずさるその子に、咲乃が焦ったように呼びかけた。

 メガネは雨でくもっていて目の奥までは見えなかったが、それでも彼女が泣いているのは、彩美でもわかった。

 少女が何も言わずに走りだしたのを見て、咲乃が追いかけようと身じろぐ。しかし、それを阻んだのは稚奈だった。稚奈が、咲乃の服のすそを掴んでいたのだ。

「終わってない……」

 稚奈は頬を涙で濡らして言った。

「終わってないもん。卒業までって言った! それまでに好きにさせるって!!」

「……言ったもん」稚奈は叫んだ後、弱々しく震える声でそう言った。

 追いかけようとした拍子に、咲乃が手放した傘は地面に転がっている。咲乃と稚奈は雨に濡れ、前髪の先から雫が滴り落ちた。

「終わりだよ。俺ははじめから、津田さんを守るためにキミと付き合っていたんだから。キミが裏切った時点で、全て終わった」

 咲乃の声に感情はなく、恐ろしいまでに平坦だった。地面に落とした傘を拾いあげ、家の門を開く。

「……篠原くん?」

 彩美は、一体何が起こっているのか分からないまま、咲乃に呼びかけた。うつむいた顔は、しっとりと濡れた前髪に隠れてしまい、咲乃の表情は見えない。

「神谷に、津田さんを見つけたと連絡して」

 咲乃は彩美にそう言い捨てると、女の子が向かった方へ走って行った。

 彩美は咲乃を呼び止めようとして、一瞬伸ばした手をおろした。ただ困惑したまま、小さくなっていく咲乃の背中を見続けていた。
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