いじめられ少女が腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】

ep20 黄金に輝る放課後にふたり

「っ……」

 帰りのHR《ホームルーム》後。咲乃がカバンを手に取ると、硬い感触と共に、肌に冷たい違和感が走った。
 手のひらを見ると、中指の中節部から赤い線が走っている。そこから滲むように血の球が浮き出てきた。薄く皮膚を切ったようだ。深い傷ではないが、存在を主張するように小さな痛みが脈打っている。

「篠原、また明日なー」

「うん、また明日」

 咲乃は、神谷に気付かれないよう、血の付いた手を握りしめた。

 神谷が教室を出て行ってから、咲乃はカバンの持ち手を確認すると、ちょうど真ん中あたりに、家庭科で使う刺繍針が刺さっていた。

 移動教室中に仕込まれたのか。

 保健室に絆創膏だけもらってこようと、咲乃は机の上にカバンを残して、教室を出て行った。



 教室に誰もいなくなった頃、結子は人目を忍んでそっと教室に戻ってきた。
 なるべく足音が響かないよう静かに歩く。他に人の気配がないかに気を配りつつ近づいたのは、咲乃の机だ。

 どきどきする胸を抑え、そっと机の上に手を当てた。静かに目を瞑る。

 ――退屈そうに頬杖を付きながら、窓の外を見ている篠原くん――静かに読書をして過ごす篠原くん――友達と話しているときの篠原くん――授業に真面目に取り組む篠原くん……。
 結子の席から見た、色んな彼の姿が、色鮮やかに瞼の裏に浮かび上がる。最後に浮かんできたのは、結子に笑いかけた時の彼の顔だった。

 ゆっくりと目を開く。息をするのが苦しいほど、胸の奥がどきどきしている。人差し指で咲乃の机に「好き」と書いた。
 好きな人に告白されるおまじない。おまじないをかけるときは、けして誰にも見られてはいけないという決まりがある。

 ようやく机から手を放すと、やり遂げたことへの達成感で、ほっと息をついた。

「中本さんはまだ帰らないの?」

 心臓が止まるかと思った。勢いよく後ろを振り返ると、にこにこ笑っている咲乃がいた。全身から血の気が引く。

「しっ……篠原くん……!!」

「俺の席に何か用?」

「えっ、えっと、こ、これは……」

 咲乃に尋ねられ、結子は答えられずに後退った。さがった拍子に、咲乃の机が腰に当たる。心臓が飛び出るかと思うほどにびっくりして、結子は体を震わせた。

 見られたかもしれないと思うと、絶望的な気持ちになった。
 もし、軽蔑されたら。勝手に人の机でおまじないなんかして、気味悪がられたら。一方的に好意を向けられて、迷惑に思われたら。篠原くんに、嫌われたら――。

「ご、ごめんなさいっ!」

 咄嗟に逃げようとして、あっけなく咲乃に腕を掴まれてしまう。結子は怯えながら咲乃を見上げた。

「中本さん、少し話をしない?」

 怖いくらい穏やかに微笑む咲乃に、結子は今にも泣き出しそうになった。



 咲乃に促され、結子は椅子に座った。向き合うように、咲乃も近くの席に座る。面と向かった形に居心地の悪さを感じて、うつむいたまま手をもじもじさせていると、くすくすと声がした。
 結子は目に涙をためたまま呆けた顔で見返した。
 咲乃が声を押し殺して笑っている。結子は、なぜ笑われているのか、さっぱり分からなかった。

「中本さんて、不思議なことをするよね」

 咲乃があまりにも可笑しそうに笑うせいで、すっかり気の抜けた結子は目を瞬かせた。

「おっ、怒ってないの?」

「怒ってるわけじゃないんだ。ただ、少し怪しかったよ。でも、すごく辺りを警戒しているわりには、背中が無防備だなって」

 肩を揺らして笑う咲乃に、結子の顔が熱くなった。

「わ……、渡したいものが……あって……」

「ん?」

 結子が出したのは小さなクラフト袋だった。開け口の部分は、お花のシールで閉じられている。

 咲乃に「開けてもいい?」と聞かれ、結子は小さく頷いた。

 透明の包装袋にはクッキーが入っていて、メッセージカードが差し込んである。


“篠原君へ。体育の時のこと、ごめんなさい”

 咲乃がメッセージカードを読むと、結子は机の下でスカートの裾をぎゅっと握りしめた。

「……どう、渡せばいいのかわからなくて。結局、放課後になっちゃって……。まだ、カバンがあったから、そのの中にいれようと……」

 今日は諦めて持って帰るつもりだった。だか、結子がトイレから戻ってくると、まだ咲乃の机の上にカバンが置かれているのを見て、手作りクッキーを中に入れておくつもりだったのだ。

「いきなり話しかけて、迷惑を掛けたく無かった……から」

「迷惑だなんて思わないよ。ありがとう、中本さん」

 結子はうつむいたまま首を横に振った。

「私、クラスで印象薄いし、居ないみたいなものだから。こんな私が声を掛けたら、篠原くんに迷惑を掛けちゃう。だから、どうやって謝ったらいいのか分からなくて……」

 結子の手の甲に水滴が落ちた。
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