『絶食男子、解禁』

どれくらいの時間が経っただろう。

すぐ傍にあった彼の気配が消えて、延々とサッカーのサポーターの声援がテレビのスピーカーから漏れて来る。
ソファに沈み込んだままの体は鉛のように重く、電池切れの玩具みたい。

センターテーブルの上に置かれたスマホが鳴った。

『ごめん。悪いけど、時間を置きたい』

楢崎からのメールで、漸く我に返った。

やっと彼と前に進もうと心を決めたのに。
肝心なところで、元彼の呪縛に憑りつかれてしまった。



あの人は女性に手慣れていて、付き合い始めの頃はちゃんとキスから入って丁寧に愛撫もしてくれた。
けれど、いつからだっただろう。
平均より少し大きめな私の胸がお気に入りだったあの人は、する時はいつも、胸から攻めるようになっていた。

キスがないわけじゃない。
ただ、刷り込まれた記憶というのか。
その後にあの出来事があって別れたから、思っていた以上に体に刻まれていたのかもしれない。
キスがないまま体だけ求められると脳が勝手に判断してしまったのかもしれない。

彼とあの人は違うのに。



彼に向けた言葉じゃなかったのに。
脳内にチラつく、あの人を追い払いたかっただけ。
心の声が漏れ出してて、彼を傷付けてしまった。

今から謝罪のメールを送る?
こういうことは直接言わなきゃ失礼だ。

『時間を置きたい』という考えに至るまで、彼を追い込んでしまった。
原因は全て私にあるのに。

どう言い訳しても、彼を傷付けたことに変わりはない。

元彼と彼をダブらせるだなんて、最低最悪な女だ。

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