お別れ前に心構えがしたいので、最低でも振る1ヶ月前には前振りが欲しい
「他に好きな子が出来たんだ…ごめん…」
少し頭を下げて、彼は私に言った。
突然過ぎて、晴天の霹靂ってこんな時に使うんだなって思った。
霹靂って漢字、どんなんだっけ?
正しく書ける自信がない、というか書けない。断言。
「え、とこれ、何かの冗談?」
違うと分かっていても、この重苦しい雰囲気を騙すかのように、わざと陽気に言って茶化して話しを流そうとする自分がいる。
そう、冗談だよ。本気にした?
そんな軽口で、この話が変えられるように。
ほら、助け船だよ、ドンと乗っかって来い!
今の発言で少しくらい船が揺れても、時間が経てば揺れは収まる。
また、前のように戻れる。
だから、大丈夫。
だけど。
彼は、眉根を寄せて、辛そうな顔して私を見る。
違う、違う。
そんな顔、させたかったわけじゃないんだけどな。
「ごめん、嫌いになった訳じゃないんだ、だけど…」
「…彼女の方が、好きに、なっちゃったの?」
小首を傾げて上目遣いで彼を見る。
いじらしく見えるように。
あざとさ、上等。
彼は一瞬瞳を揺らして、静かに睫毛を伏せる。
少しは、罪悪感感じてくれた?
それにしても。
相変わらず羨ましい位に長い睫毛だなぁ。
こんなシリアスな場面なのに、どうして私、こんなに他人事みたいなんだろう。
「ごめん、だけど本当に嫌いになった訳じゃないいんだよ、可愛いし、面白いし、優しいし。
ただ…」
「ただ?」
私、は、その子じゃ無いから。
彼が、新しく好きになった女の子じゃないから。
「俺も…ずっと考えていたんだよ…」
答えを言わないんだね。
彼はキュッと口を引き締める。
何度も好きだと言ってくれた唇は、今ではとても遠い。
「ずっとって…どれくらい前から?
全然気が付かなかった…」
自分の口から出た言葉の白々しさに反吐が出そう。
全然気が付かなかった?
本当に?
少しの違和感。
今、思えばきっと沢山あった彼からのサイン。
だけど、認めたくなくて。
ううん、信じてた。
そんな事無いと。
気がつきたく、なかった。
ほんの数口しか口をつけてないモカチーノは、置物と化したまま。
そのコーヒーのカップが歪んで滲む。
彼は何かを言おうとして顔を上げて、だけど何も言わずに項垂れた。
窓の外は、風が吹いている。
歩いている女の人のロングスカートの裾が風ではためく。
こんな別れ話しをしている私達を除け者にして、外を歩いてる人は楽しそう。
「一緒にプール行くって言ってたじゃん。パンダ見に行くって言ってたじゃん。
全部全部、嘘だったの?」
責めてるように言いたくないのに、言葉が勝手に口から出る。
「そんな前から別れることを考えていたのなら、その時から言ってくれれば良かったじゃない。
そうしたら、心構えが出来たのに!」
彼は、俯いたまま。
そうね、この時間をやり過ごせば、後は自由。
だったら何も言わずにやり過ごそう、そう思っているんだろうな。
誠実、といえば誠実なのかな。
こんな気詰まりになっても、面と向かって別れ話しをしてくれるだけでも。
メッセージで終わらせてブロックして逃げちゃうってことだって出来るのに。
一応は、私に向き合ってくれたのかな。
だけど。
でも、やっぱり。
ズルい。
貴方は、ずっと前から考えていて、全部決めちゃってから出した答えを私に言うだけだもんね。
「…俺だって、やり直せるんじゃないかなと思ったんだよ」
それは、なんの慰めにもならないよ。
結局のところ結果は同じなんだもん。
「分かった」
「え?」
「分かったって言ったの。
新しい彼女とお幸せに」
「あ…」
ポカンと間抜け顔をしている彼に、最後に微笑む。
もっと責められると覚悟していたのだろうな。
素直に、いやだ、別れたくないとゴネれば、何かが変わる?
ううん、変わらない。
もしかしたら、少しくらいは上手く行くかもしれない。
だけど。
きっと遅かれ早かれ終わりが来てしまう。
その、終わりが今になっただけで。
だったら良い印象で別れたい。
思い出すのも憚れるような醜態なんて見せたくない。
良い女だったと思われたい。
この後に及んでも、やっぱり彼からよく思われたいと思ってしまう。
そして、なんてずるい人なんだろう。
私を見上げる彼の方が、見捨てられた子犬の様。
会計票に手を伸ばそうとしたら、彼が自分の手で上から押さえた。
「俺が払う、俺がわざわざ呼び出したから…」
「そう、ありがとう…じゃ、元気で」
「…あぁ、元気で…」
まだ一緒に居たいと言ってくれたのに。
ずっと一緒にいたいねって笑いあったのに。
引き留められるはずが無いのに、期待してしまう自分が嫌だ。
踵を返して店を出る。
溜まっていた滴を拭く。
前を見て、歩く。
駅までの道を、歩く。
無心に歩く。
終わってしまった。
2年間の思い出が一気に甦ってくる。
2人で過ごした数々の思い出が。
駅前の交差点で赤信号で止まった時に、手持ち無沙汰で気を紛らわせようとスマホを取り出す。
無意識にタップしたのは、彼の連絡先で。
落ち込んで、悲しい時。
どうしようもなく辛い時。
いつもいつも愚痴を聞いてくれた。
慰めてくれた。
元気にしてくれた。
そして楽しかった時、嬉しかった時だって一番に話したかったのは、彼で。
こんなにも、自分の生活に彼が入り込んでいたんだと、愕然とする。
無意識にタップしようとしていた通話ボタンを見ていたら、画面に滴が落ちた。
これが、サヨナラしたって事なんだな。
交差点が青に変わる。
通りゃんせのメロディを遠く聴きながら、雑踏の中で私は1人立ち尽くす。
やっぱり、嫌だ。
居ても立っても居られない気持ちに急かされて、さっきまでいた喫茶店に戻るために向きを変える。
早く、早く。
もう、居ないかもしれない。
間に合う、大丈夫。
気ばかりが焦ってしまう。
早く戻りたいのに休日の街中は、人が沢山歩いていて思う様には歩けない。
人混みを縫う様にして進むけど、休日を楽しむ人達の歩調はゆっくりで。
ようやく辿り着いた喫茶店を外から見たら。
私達が座っていた窓際の席には、既に誰かが座っていて楽しそうに話している。
スマホを取り出して連絡をしようとして、手が止まる。
もし、ブロックされていたら。
そんな事する人じゃ無い、けど。
だけど。
別れ話しを了承したのに。
未練がましく画面を見てるとスリープ状態に変わる。
真っ黒になった画面に、目立つように残る水滴。
「何、やってんだろ」
小さく呟いた。
馬鹿、みたい。
馬鹿みたい。
馬鹿じゃない、私。
あてもなく、街を彷徨う。
家に1人で居たら、果てしなく気が滅入りそうで。
それが嫌でふと目に入った、いわゆる高級ブランドと呼ばれる路面店に入った。
店の入り口のドアを開けるドアマン。
そこは、非日常の世界。
店内に香るのはルームフレグランスなのだろうか。
カサブランカの生花が、主張し過ぎない様に飾られてる。
「何をお探しでしょうか?」
ニッコリと微笑む店員につられて、微笑む。
「ダイヤのピアスを探しているのですけど」
「ダイヤのピアスですか、ではこちらに」
店員のアテンドで移動する。
大体の予算、デザインなど希望を伝えながら胸を張って歩く。
落ち込んで俯きがちになりそうな自分には、この高揚感がちょうど良いのかもしれない。
店員が一つ一つのピアスの説明を丁寧にしてくれる。
雑誌で見かけていた、素敵だな、いつか欲しいなと思っていたお目当てのピアスに目が釘付けになる。
やっぱり現物は、もっと素敵だった。
銀だと安いけど、18金になると一気に値段が跳ね上がる。
ちょっと躊躇してしまう値段。
いつか、いつかと思いながら、何年過ぎたのだろう。
3年後に買うとか具体的に決めていたら、もう手にしていたのだろうか。
そんな事をぼんやりと考えながら手に取ると、なんだかドキドキしてくる。
高揚感に胸が高鳴るなんて、滅多にないのに。
耳に当てるとサイズもちょうど良い。
このピアスをするなら、髪が邪魔だな。
彼は、長い髪が好きだったから。
ううん、別に彼の為に伸ばしていたわけじゃないけど、切りづらくなったのは確かで。
「これ、ください」
カードを出しながら、心の中で夏のボーナスにさようならを告げる。
いや夏のボーナスだけじゃ足りないけど。
それをカバーするのは。
本当なら、彼とスキューバの免許を旅行がてら取りに行くための旅費分。
綺麗さっぱり使い切っちゃえ。
「これ、今つけたいので、良いですか?」
「勿論です」
手際よく店員がピアスを拭き取りながら微笑む。
カード決済のため席を外してる間にパラパラとカタログを捲る。
豪華でため息が出そうな物から、なんじゃこりゃ?と思う遊び心あるものまで。
カード明細と、ピアスを入れるジュエリーボックスがブランドカラーの小袋に入れられて手渡される。
改めてピアスをつけて鏡を見る。
お似合いですよ、というお愛想も素直にありがとうございますと返す。
鏡に写るダイヤのピアスは、そこだけキラキラ輝いてる。
まるで何かの主役の様に。
店を出たら足取りは軽く。
やっぱり目についた美容院に飛び入りで入ってみる。
ちょうど予約がキャンセルになった美容師さんに髪の毛をばっさりと切って貰った。
パラパラ落ちていく髪の毛は、まるで彼と過ごした時間が剥がれ落ちていくみたいだ。
美容師と適当に会話する。
「憧れていたピアス買ったから、目立つ様に切りたいなって思って」
そう、それだけ。
絶対に失恋したから、では断じて無いのだ。
耳が見えるくらいバッサリと切ったので、印象がガラリと変わる。
気分はフランスかどこかの小粋なショートカットの女の子。
めっちゃ日本人顔だけど、この際それは気にしない。
イメージ、大事。
鏡に写る私は、朝の私とは全然違っていた。
美容師さんが髪のお手当て方法を教えてくれながら、合わせ鏡で全体を見せてくれる。
襟足もスッキリして、多分、私の人生で一番短くした気がする。
耳元で、キラリとひかるダイヤのピアス。
うん、中々似合ってるんじゃない?
自画自賛して会計を終わらせ、外に踏み出す。
うん、大丈夫。
思った以上にピアスの効果は、抜群だったようだ。
前を向いて歩く私は、きっと小粋なフランスの女の子(妄想だけど)。
分かってる。
当分、泣くだろう。
当分、寂しくて悲しくて、やりきれない夜を過ごすだろう。
だって今でもまだ、こんなに大好きだから。
でも。
耳元に手をあてる。
指先に伝わる硬質な感覚。
あの時の高揚感を思い出す。
彼が居なくても、ワクワクした。
ドキドキした。
うん、頑張れるな、そう思った。
悲しいのに、なんだか笑い出したくなって口角が上がる。
情緒不安定、上等。
二日酔い上等。
明日の自分に責任を押し付けてしまえ。
うん、決めた。
とりあえず、近所のスーパーで沢山ビールとおつまみを買おう、カロリーなんて気にせずに、好きな物山盛り買って。
そしてたっぷり自己憐憫に浸って泣こう。
電車の窓に写る私の変わりっぷりに、月曜の出社時がちょっと気恥ずかしいだろうな、そう思いながら耳に、髪に手を当ててみる。
随分思い切った行動だったかも。
なのに不思議とちっとも後悔してなくて。
むしろ、怪我の功名?こっちの方が私らしい気がした。
行動すれば、変わるから。
例え今は、外見だけでも。
例え今は、空元気でも。
彼と一緒に見た景色は、もう見れないけど。
違う窓を開けたら、また違う景色が見えるから。
だから、大丈夫。
また、そのうちに誰かに恋をするその日までは。
ピアスを出しにして頑張る私を許してね。
耳元に手を伸ばして硬質なピアスに触れた。
滲む車窓に、陽を浴びたピアスがキラリと光った。
終
少し頭を下げて、彼は私に言った。
突然過ぎて、晴天の霹靂ってこんな時に使うんだなって思った。
霹靂って漢字、どんなんだっけ?
正しく書ける自信がない、というか書けない。断言。
「え、とこれ、何かの冗談?」
違うと分かっていても、この重苦しい雰囲気を騙すかのように、わざと陽気に言って茶化して話しを流そうとする自分がいる。
そう、冗談だよ。本気にした?
そんな軽口で、この話が変えられるように。
ほら、助け船だよ、ドンと乗っかって来い!
今の発言で少しくらい船が揺れても、時間が経てば揺れは収まる。
また、前のように戻れる。
だから、大丈夫。
だけど。
彼は、眉根を寄せて、辛そうな顔して私を見る。
違う、違う。
そんな顔、させたかったわけじゃないんだけどな。
「ごめん、嫌いになった訳じゃないんだ、だけど…」
「…彼女の方が、好きに、なっちゃったの?」
小首を傾げて上目遣いで彼を見る。
いじらしく見えるように。
あざとさ、上等。
彼は一瞬瞳を揺らして、静かに睫毛を伏せる。
少しは、罪悪感感じてくれた?
それにしても。
相変わらず羨ましい位に長い睫毛だなぁ。
こんなシリアスな場面なのに、どうして私、こんなに他人事みたいなんだろう。
「ごめん、だけど本当に嫌いになった訳じゃないいんだよ、可愛いし、面白いし、優しいし。
ただ…」
「ただ?」
私、は、その子じゃ無いから。
彼が、新しく好きになった女の子じゃないから。
「俺も…ずっと考えていたんだよ…」
答えを言わないんだね。
彼はキュッと口を引き締める。
何度も好きだと言ってくれた唇は、今ではとても遠い。
「ずっとって…どれくらい前から?
全然気が付かなかった…」
自分の口から出た言葉の白々しさに反吐が出そう。
全然気が付かなかった?
本当に?
少しの違和感。
今、思えばきっと沢山あった彼からのサイン。
だけど、認めたくなくて。
ううん、信じてた。
そんな事無いと。
気がつきたく、なかった。
ほんの数口しか口をつけてないモカチーノは、置物と化したまま。
そのコーヒーのカップが歪んで滲む。
彼は何かを言おうとして顔を上げて、だけど何も言わずに項垂れた。
窓の外は、風が吹いている。
歩いている女の人のロングスカートの裾が風ではためく。
こんな別れ話しをしている私達を除け者にして、外を歩いてる人は楽しそう。
「一緒にプール行くって言ってたじゃん。パンダ見に行くって言ってたじゃん。
全部全部、嘘だったの?」
責めてるように言いたくないのに、言葉が勝手に口から出る。
「そんな前から別れることを考えていたのなら、その時から言ってくれれば良かったじゃない。
そうしたら、心構えが出来たのに!」
彼は、俯いたまま。
そうね、この時間をやり過ごせば、後は自由。
だったら何も言わずにやり過ごそう、そう思っているんだろうな。
誠実、といえば誠実なのかな。
こんな気詰まりになっても、面と向かって別れ話しをしてくれるだけでも。
メッセージで終わらせてブロックして逃げちゃうってことだって出来るのに。
一応は、私に向き合ってくれたのかな。
だけど。
でも、やっぱり。
ズルい。
貴方は、ずっと前から考えていて、全部決めちゃってから出した答えを私に言うだけだもんね。
「…俺だって、やり直せるんじゃないかなと思ったんだよ」
それは、なんの慰めにもならないよ。
結局のところ結果は同じなんだもん。
「分かった」
「え?」
「分かったって言ったの。
新しい彼女とお幸せに」
「あ…」
ポカンと間抜け顔をしている彼に、最後に微笑む。
もっと責められると覚悟していたのだろうな。
素直に、いやだ、別れたくないとゴネれば、何かが変わる?
ううん、変わらない。
もしかしたら、少しくらいは上手く行くかもしれない。
だけど。
きっと遅かれ早かれ終わりが来てしまう。
その、終わりが今になっただけで。
だったら良い印象で別れたい。
思い出すのも憚れるような醜態なんて見せたくない。
良い女だったと思われたい。
この後に及んでも、やっぱり彼からよく思われたいと思ってしまう。
そして、なんてずるい人なんだろう。
私を見上げる彼の方が、見捨てられた子犬の様。
会計票に手を伸ばそうとしたら、彼が自分の手で上から押さえた。
「俺が払う、俺がわざわざ呼び出したから…」
「そう、ありがとう…じゃ、元気で」
「…あぁ、元気で…」
まだ一緒に居たいと言ってくれたのに。
ずっと一緒にいたいねって笑いあったのに。
引き留められるはずが無いのに、期待してしまう自分が嫌だ。
踵を返して店を出る。
溜まっていた滴を拭く。
前を見て、歩く。
駅までの道を、歩く。
無心に歩く。
終わってしまった。
2年間の思い出が一気に甦ってくる。
2人で過ごした数々の思い出が。
駅前の交差点で赤信号で止まった時に、手持ち無沙汰で気を紛らわせようとスマホを取り出す。
無意識にタップしたのは、彼の連絡先で。
落ち込んで、悲しい時。
どうしようもなく辛い時。
いつもいつも愚痴を聞いてくれた。
慰めてくれた。
元気にしてくれた。
そして楽しかった時、嬉しかった時だって一番に話したかったのは、彼で。
こんなにも、自分の生活に彼が入り込んでいたんだと、愕然とする。
無意識にタップしようとしていた通話ボタンを見ていたら、画面に滴が落ちた。
これが、サヨナラしたって事なんだな。
交差点が青に変わる。
通りゃんせのメロディを遠く聴きながら、雑踏の中で私は1人立ち尽くす。
やっぱり、嫌だ。
居ても立っても居られない気持ちに急かされて、さっきまでいた喫茶店に戻るために向きを変える。
早く、早く。
もう、居ないかもしれない。
間に合う、大丈夫。
気ばかりが焦ってしまう。
早く戻りたいのに休日の街中は、人が沢山歩いていて思う様には歩けない。
人混みを縫う様にして進むけど、休日を楽しむ人達の歩調はゆっくりで。
ようやく辿り着いた喫茶店を外から見たら。
私達が座っていた窓際の席には、既に誰かが座っていて楽しそうに話している。
スマホを取り出して連絡をしようとして、手が止まる。
もし、ブロックされていたら。
そんな事する人じゃ無い、けど。
だけど。
別れ話しを了承したのに。
未練がましく画面を見てるとスリープ状態に変わる。
真っ黒になった画面に、目立つように残る水滴。
「何、やってんだろ」
小さく呟いた。
馬鹿、みたい。
馬鹿みたい。
馬鹿じゃない、私。
あてもなく、街を彷徨う。
家に1人で居たら、果てしなく気が滅入りそうで。
それが嫌でふと目に入った、いわゆる高級ブランドと呼ばれる路面店に入った。
店の入り口のドアを開けるドアマン。
そこは、非日常の世界。
店内に香るのはルームフレグランスなのだろうか。
カサブランカの生花が、主張し過ぎない様に飾られてる。
「何をお探しでしょうか?」
ニッコリと微笑む店員につられて、微笑む。
「ダイヤのピアスを探しているのですけど」
「ダイヤのピアスですか、ではこちらに」
店員のアテンドで移動する。
大体の予算、デザインなど希望を伝えながら胸を張って歩く。
落ち込んで俯きがちになりそうな自分には、この高揚感がちょうど良いのかもしれない。
店員が一つ一つのピアスの説明を丁寧にしてくれる。
雑誌で見かけていた、素敵だな、いつか欲しいなと思っていたお目当てのピアスに目が釘付けになる。
やっぱり現物は、もっと素敵だった。
銀だと安いけど、18金になると一気に値段が跳ね上がる。
ちょっと躊躇してしまう値段。
いつか、いつかと思いながら、何年過ぎたのだろう。
3年後に買うとか具体的に決めていたら、もう手にしていたのだろうか。
そんな事をぼんやりと考えながら手に取ると、なんだかドキドキしてくる。
高揚感に胸が高鳴るなんて、滅多にないのに。
耳に当てるとサイズもちょうど良い。
このピアスをするなら、髪が邪魔だな。
彼は、長い髪が好きだったから。
ううん、別に彼の為に伸ばしていたわけじゃないけど、切りづらくなったのは確かで。
「これ、ください」
カードを出しながら、心の中で夏のボーナスにさようならを告げる。
いや夏のボーナスだけじゃ足りないけど。
それをカバーするのは。
本当なら、彼とスキューバの免許を旅行がてら取りに行くための旅費分。
綺麗さっぱり使い切っちゃえ。
「これ、今つけたいので、良いですか?」
「勿論です」
手際よく店員がピアスを拭き取りながら微笑む。
カード決済のため席を外してる間にパラパラとカタログを捲る。
豪華でため息が出そうな物から、なんじゃこりゃ?と思う遊び心あるものまで。
カード明細と、ピアスを入れるジュエリーボックスがブランドカラーの小袋に入れられて手渡される。
改めてピアスをつけて鏡を見る。
お似合いですよ、というお愛想も素直にありがとうございますと返す。
鏡に写るダイヤのピアスは、そこだけキラキラ輝いてる。
まるで何かの主役の様に。
店を出たら足取りは軽く。
やっぱり目についた美容院に飛び入りで入ってみる。
ちょうど予約がキャンセルになった美容師さんに髪の毛をばっさりと切って貰った。
パラパラ落ちていく髪の毛は、まるで彼と過ごした時間が剥がれ落ちていくみたいだ。
美容師と適当に会話する。
「憧れていたピアス買ったから、目立つ様に切りたいなって思って」
そう、それだけ。
絶対に失恋したから、では断じて無いのだ。
耳が見えるくらいバッサリと切ったので、印象がガラリと変わる。
気分はフランスかどこかの小粋なショートカットの女の子。
めっちゃ日本人顔だけど、この際それは気にしない。
イメージ、大事。
鏡に写る私は、朝の私とは全然違っていた。
美容師さんが髪のお手当て方法を教えてくれながら、合わせ鏡で全体を見せてくれる。
襟足もスッキリして、多分、私の人生で一番短くした気がする。
耳元で、キラリとひかるダイヤのピアス。
うん、中々似合ってるんじゃない?
自画自賛して会計を終わらせ、外に踏み出す。
うん、大丈夫。
思った以上にピアスの効果は、抜群だったようだ。
前を向いて歩く私は、きっと小粋なフランスの女の子(妄想だけど)。
分かってる。
当分、泣くだろう。
当分、寂しくて悲しくて、やりきれない夜を過ごすだろう。
だって今でもまだ、こんなに大好きだから。
でも。
耳元に手をあてる。
指先に伝わる硬質な感覚。
あの時の高揚感を思い出す。
彼が居なくても、ワクワクした。
ドキドキした。
うん、頑張れるな、そう思った。
悲しいのに、なんだか笑い出したくなって口角が上がる。
情緒不安定、上等。
二日酔い上等。
明日の自分に責任を押し付けてしまえ。
うん、決めた。
とりあえず、近所のスーパーで沢山ビールとおつまみを買おう、カロリーなんて気にせずに、好きな物山盛り買って。
そしてたっぷり自己憐憫に浸って泣こう。
電車の窓に写る私の変わりっぷりに、月曜の出社時がちょっと気恥ずかしいだろうな、そう思いながら耳に、髪に手を当ててみる。
随分思い切った行動だったかも。
なのに不思議とちっとも後悔してなくて。
むしろ、怪我の功名?こっちの方が私らしい気がした。
行動すれば、変わるから。
例え今は、外見だけでも。
例え今は、空元気でも。
彼と一緒に見た景色は、もう見れないけど。
違う窓を開けたら、また違う景色が見えるから。
だから、大丈夫。
また、そのうちに誰かに恋をするその日までは。
ピアスを出しにして頑張る私を許してね。
耳元に手を伸ばして硬質なピアスに触れた。
滲む車窓に、陽を浴びたピアスがキラリと光った。
終