大魔導士は果てのない愛を金の環にこめて
誰かのための部屋
「フィー、頭が痛むのですか……?」
エドの泣きそうな声が聞こえてくる。
途端に目の前の景色が霧散してしまい、気付けばエドの顔が目と鼻の先にある。
気遣わしく覗き込んでくる顔を見るとホッとした。
不安がっているエドには申し訳ないけれど、心配してくれているのが嬉しい。
「少し頭痛があるみたいです。でも、大したことはありません」
「十分大したことですよ。今日はもう休みなさい」
「わわっ……!」
あっという間に体を持ち上げられてしまい、横抱きのまま隣の部屋に運ばれる。
危なげなく運ぶエドの腕力に驚かされた。
エドの私室の隣にある部屋は簡素で、独特な雰囲気がある。
寝台と物書きができる机と椅子、それに衣装棚があるくらいだ。
それでも地味には見えず、どこか洗練されているような印象を受けるのは、この調度品たちを選んだエドの感性がいいからなのかもしれない。
「ここは何の部屋なのですか?」
「昔を懐かしむために作った部屋です。部屋としては機能していなかったので、あなたが住むとこの部屋も喜ぶでしょう」
わたしは寝台の上に降ろされる。まるで壊れものを扱うような、ゆっくりと丁寧な動きで。
離れたくなくてエドの上着を掴めば、エドがクスリと笑う声が聞こえてきた。
片腕でわたしを支えたまま、空いている方の手で頭を撫でてくれる。
「昔住んでいた部屋を再現したのですか?」
「ええ、ずっと昔に住んでいた部屋に似せました。どうしてもあのお方を思い出したくなった時にこの部屋に来ます」
(あのお方……?)
誰のことなのかわからないが、どうしてか尋ねるのが憚られた。
わたしの知らないエドの過去に、どこまで踏み入れてもいいのかわからない。
だけど、エドがとても愛おしそうに言っていたのがどうしても気にかかってしまう。
(まるで、恋をしているような眼差しだわ)
またもや胸に重い痛みが呼び覚まされる。
思わず胸元を押さえると、エドはまた心配そうに声を掛けてくれた。
「イヴェールからここに来るまでの長旅の疲れが取れていないのでしょう。一度、医者に診てもらってください」
「いいえ、その必要はありません。エスタシオンの王城で診てくれた宮廷医が治してくださったのですから健康そのものですよ」
「……」
エドの指先がわたしの髪を絡める。
恭しい手つきで、まるで神聖なものに触れるかのように。
「覚えていてください。あなたに何かあれば、私は正気でいられなくなります。あなたが誰かのものになっても同じです」
「どうして……?」
問いに応えるように、エドはわたしの髪に唇を寄せる。
「あなたのことが大切だからです。――魔法であなたを縛るほど、あなたを想っております」
「……それは、――……なんでもありません」
(愛おしいという感情から想ってくれているのでしょうか?)
しかし悲しい事に、わたしの頭はそこまで気楽な思考に染まってくれなかった。
大魔導士シンシアの影や、エドの言う《あのお方》の存在がちらつき、どうにもわたしに思慕のような感情を向けられていないような気がしてならないのだ。
本当の事を知るのが怖い。
そんな自分の意気地の無さに笑いたくなる。
エドが大切に想ってくれている愛情の正体を知りたいのと同時に、知ればもう元に戻れなくなるとわかっているから。
だからわたしは、知らないことにした。
「就寝するには着替えなければなりませんね。ドリスを呼びますから待っていてください」
「じ、自分一人で着替えられます! ドリスさんのお仕事を増やすわけにはいきません!」
立ち上がろうとすると、エドに制止される。
「あなたはまたそうやって、無理をしようとしますね。駄目ですよ。大人しく待っていてくださいね」
エドはわたしを寝かしつけると、耳元で小さく囁いた。
「私が居ない間に逃げようとしないでくださいね。今度こそどこまでも追いかけてあなたを捕まえますから」
「……っ!」
耳をくすぐる声は甘く毒のようで、重苦しく胸の奥へと沈んでいく。
エドが部屋から出ていくのを見届け、溜息をついた。
「エドのことが、よくわからないです……」
初めて会った時から不思議な人だった。
他の人間とは一線を画しており、わたしを惹きつけてやまない存在。
だけど謎が多く、本心がわからない。
「あのキスは何の意味だったのでしょうか? 魔法をかけるため……ではなさそうでしたけど」
優しく重ねられた唇の感触や、エドの息遣いを思い出してしまい、顔に熱が宿る。
寝台の上で転げまわっていると、ガタリと音がした。
驚いて周囲を見れば、本が一冊、床の上に落ちている。
顔を上げると、壁に取り付けてある本棚に一冊分の隙間があった。
ベッドから立ち上がって題名を読んでみると、魔法の教本と書かれている。
随分と古びた本で、開くと古書特有の匂いがする。
パラパラと頁を捲れば、要所に誰かが文字を書き込んでいる。
「古語で書かれているから読めませんね。わざとでしょうか?」
教本は現代と同じ言語であるのに、書き込みは古語で書かれているのだ。何者かが意図して読まれないようにしているように思える。
「これはエドの本なのでしょうか?」
最後まで頁を捲ると、背表紙の裏には流麗な筆致で、別の誰かが言葉を書いている。
――シンシア・ガーディナーからダレン・ウェインライトへ、この本を贈る。
この本の持ち主の名前を知り、心臓がどくんと大きく脈を打った。
「ど、どうしてダレンの本がここに……?」
呟いたところで誰かが答えてくれることはない。
じっと見ているとドリスさんがやって来て扉を叩いたから、わたしは本を元あった場所に戻した。
エドの泣きそうな声が聞こえてくる。
途端に目の前の景色が霧散してしまい、気付けばエドの顔が目と鼻の先にある。
気遣わしく覗き込んでくる顔を見るとホッとした。
不安がっているエドには申し訳ないけれど、心配してくれているのが嬉しい。
「少し頭痛があるみたいです。でも、大したことはありません」
「十分大したことですよ。今日はもう休みなさい」
「わわっ……!」
あっという間に体を持ち上げられてしまい、横抱きのまま隣の部屋に運ばれる。
危なげなく運ぶエドの腕力に驚かされた。
エドの私室の隣にある部屋は簡素で、独特な雰囲気がある。
寝台と物書きができる机と椅子、それに衣装棚があるくらいだ。
それでも地味には見えず、どこか洗練されているような印象を受けるのは、この調度品たちを選んだエドの感性がいいからなのかもしれない。
「ここは何の部屋なのですか?」
「昔を懐かしむために作った部屋です。部屋としては機能していなかったので、あなたが住むとこの部屋も喜ぶでしょう」
わたしは寝台の上に降ろされる。まるで壊れものを扱うような、ゆっくりと丁寧な動きで。
離れたくなくてエドの上着を掴めば、エドがクスリと笑う声が聞こえてきた。
片腕でわたしを支えたまま、空いている方の手で頭を撫でてくれる。
「昔住んでいた部屋を再現したのですか?」
「ええ、ずっと昔に住んでいた部屋に似せました。どうしてもあのお方を思い出したくなった時にこの部屋に来ます」
(あのお方……?)
誰のことなのかわからないが、どうしてか尋ねるのが憚られた。
わたしの知らないエドの過去に、どこまで踏み入れてもいいのかわからない。
だけど、エドがとても愛おしそうに言っていたのがどうしても気にかかってしまう。
(まるで、恋をしているような眼差しだわ)
またもや胸に重い痛みが呼び覚まされる。
思わず胸元を押さえると、エドはまた心配そうに声を掛けてくれた。
「イヴェールからここに来るまでの長旅の疲れが取れていないのでしょう。一度、医者に診てもらってください」
「いいえ、その必要はありません。エスタシオンの王城で診てくれた宮廷医が治してくださったのですから健康そのものですよ」
「……」
エドの指先がわたしの髪を絡める。
恭しい手つきで、まるで神聖なものに触れるかのように。
「覚えていてください。あなたに何かあれば、私は正気でいられなくなります。あなたが誰かのものになっても同じです」
「どうして……?」
問いに応えるように、エドはわたしの髪に唇を寄せる。
「あなたのことが大切だからです。――魔法であなたを縛るほど、あなたを想っております」
「……それは、――……なんでもありません」
(愛おしいという感情から想ってくれているのでしょうか?)
しかし悲しい事に、わたしの頭はそこまで気楽な思考に染まってくれなかった。
大魔導士シンシアの影や、エドの言う《あのお方》の存在がちらつき、どうにもわたしに思慕のような感情を向けられていないような気がしてならないのだ。
本当の事を知るのが怖い。
そんな自分の意気地の無さに笑いたくなる。
エドが大切に想ってくれている愛情の正体を知りたいのと同時に、知ればもう元に戻れなくなるとわかっているから。
だからわたしは、知らないことにした。
「就寝するには着替えなければなりませんね。ドリスを呼びますから待っていてください」
「じ、自分一人で着替えられます! ドリスさんのお仕事を増やすわけにはいきません!」
立ち上がろうとすると、エドに制止される。
「あなたはまたそうやって、無理をしようとしますね。駄目ですよ。大人しく待っていてくださいね」
エドはわたしを寝かしつけると、耳元で小さく囁いた。
「私が居ない間に逃げようとしないでくださいね。今度こそどこまでも追いかけてあなたを捕まえますから」
「……っ!」
耳をくすぐる声は甘く毒のようで、重苦しく胸の奥へと沈んでいく。
エドが部屋から出ていくのを見届け、溜息をついた。
「エドのことが、よくわからないです……」
初めて会った時から不思議な人だった。
他の人間とは一線を画しており、わたしを惹きつけてやまない存在。
だけど謎が多く、本心がわからない。
「あのキスは何の意味だったのでしょうか? 魔法をかけるため……ではなさそうでしたけど」
優しく重ねられた唇の感触や、エドの息遣いを思い出してしまい、顔に熱が宿る。
寝台の上で転げまわっていると、ガタリと音がした。
驚いて周囲を見れば、本が一冊、床の上に落ちている。
顔を上げると、壁に取り付けてある本棚に一冊分の隙間があった。
ベッドから立ち上がって題名を読んでみると、魔法の教本と書かれている。
随分と古びた本で、開くと古書特有の匂いがする。
パラパラと頁を捲れば、要所に誰かが文字を書き込んでいる。
「古語で書かれているから読めませんね。わざとでしょうか?」
教本は現代と同じ言語であるのに、書き込みは古語で書かれているのだ。何者かが意図して読まれないようにしているように思える。
「これはエドの本なのでしょうか?」
最後まで頁を捲ると、背表紙の裏には流麗な筆致で、別の誰かが言葉を書いている。
――シンシア・ガーディナーからダレン・ウェインライトへ、この本を贈る。
この本の持ち主の名前を知り、心臓がどくんと大きく脈を打った。
「ど、どうしてダレンの本がここに……?」
呟いたところで誰かが答えてくれることはない。
じっと見ているとドリスさんがやって来て扉を叩いたから、わたしは本を元あった場所に戻した。