大魔導士は果てのない愛を金の環にこめて

魔法の記憶

「あら、ここに古語の本もありますね」

 本棚を確認すると古語にまつわる本も置かれている。
 開いてみると、著者は大魔導士シンシアだった。

 他にも大魔導士シンシアが書いた本がいくつか並んでおり、エドは彼女が書いた本を集めていたようだ。

(魔導士として、彼女に憧れを抱いているのかしら?)

 それならいいのに、と醜い感情が独り言ちる。
 恋愛感情でなければ、心が落ち着いてくれるはずなのに……。

 昏い気持ちを抱きつつ本の内容に目を通していると、扉を叩く音が聞こえてきた。
 
「フィー、入りますよ」

 エドの声だ。
 慌てて本を戻していると、扉が開いてエドが部屋の中に入ってくる。

「おや、本を読んでいたのですか」
「……っ! か、勝手に読んですみません」
「謝る必要はありませんよ。ここにある本は暇つぶしに読んでください」

 青い瞳が、机の上に広げられた本に視線を滑らせる。
 銀色の美しい睫毛が伏せられ、その青い瞳に陰りが落ちた。

 微かに、エドが微笑んだ気配がした。

「魔法を勉強していたのですね。ここに閉じ込めても授業は止めないので安心してくださいね」

 エドが人差し指を動かせば、どこからともなく天鵞絨張りの長椅子が現れる。
 驚いて見守っていると、目の前にエドの手が差し出された。 

「おいで。授業を始めましょう」

 躊躇ったのち、促された通りに手を取れば、やんわりとした力で引き寄せられる。
 あっという間に、エドの膝の上にのせられた。後ろから抱きしめられるような体勢になり、心臓が早鐘を打ち続けている。

 おまけにエドが体を屈めると首元に彼の髪が当たり、くすぐったさに似た感覚を覚えた。

「あの、わたしは子どもではないので膝の上に乗せなくても大丈夫です」
「いいえ、あなたが逃げないように捕まえているのです」
「!」

 不意に手を取られ、指同士が絡められた。
 困惑するわたしの耳元で、エドが悪魔のように低く甘い声で囁く。

「今日は初期魔法を教えましょう。物を浮かす簡単な魔法です。本棚の中に在るあの黒い革張りの日記帳を浮かせてここまで運んでください」
「そんな……いきなり言われてもできません」

 ほとほと困り果てていると、頭に柔らかなものが押し当てられた。
 ちゅっと聞こえてきた音に、否が応でも何をされたのか想像させられてしまう。

「あなたならできますよ。あの日記帳に意識を集中させてください。そして魔力を注ぎ込むのです」

 こんな状況で集中するなんて無理な話だ。
 それでも、あの本をここまで運ばない限りはこの状況から脱することができないと悟り、一生懸命集中した。

 黒い革張りの本を見据え、体の中に在る魔力に働きかける。魔力を本に触れさせるよう意識をすると、本がゆっくりと動く。

 少しずつ、じれったいくらいにゆっくりと本が出てきた。

「……さすがです。やはりあなたは――でも魔法が使えるのですね」
「え……?」

 エドの呟きに気をとられてしまい、本に注がれていた魔力が途切れてしまう。
 ぐらりと傾いた本を、エドが魔法で手繰り寄せる。

「フィー、この日記帳を開けてみてください」
「は、はい」

 手渡された日記帳に取り付けられている金具に手をかけると、背後でエドが小さく息を呑んだ。
 がちゃりと音をたてて開くと、そこには何も書かれていなかった。

「……何も書かれていない? あれだけ厳重に錠をかけていたのに白紙であるはずがありません。それとも……これは偽物なのでしょうか?」

 エドの困惑した声が背後から聞こえてくる。
 彼が本に手を伸ばすと、ばちりと音を立てて弾かれた。

 つうっと、エドの指に赤い筋が走る。

「旦那様!」
「大丈夫です。傷口は浅いのですぐに塞がります。……だけどこの部屋を血で汚してはいけませんので、ドリスに手当してもらってきますね」

 エドは片手でわたしを椅子の上に座らせると立ち上がる。
 ふっと表情を和らげたかと思うと、わたしの目尻に唇を寄せた。
 どうやら私は泣いていたらしい。

「すぐに戻ってきますからね」

 あやすようにそう言って、部屋を出て行ってしまった。

「どうしてこの本はエドが触れると攻撃したのでしょう?」

 大切なエドに怪我をさせた忌々しい本を睨みつける。
 すると、本の頁が仄かに光った。

 みるみるうちに文字が現れ、無地の頁を埋め尽くしていく。

(魔法で隠されていたの?)

 最初から最後まで、先ほどは真っ新だった頁はどこも文字で埋め尽くされていた。
 ふと、とある一頁が目に入る。

 指を滑らせてその一文字一文字を辿った。

『――今日もまた、ダレンに求婚された。彼がどのように想ってくれていても、私は彼を異性として意識できない』

(まさかこの日記の持ち主は……大魔導士シンシア?)

 他の頁を捲り、疑惑は確信へと変わった。
 彼女の仕事や日々の生活についての日記が書かれている。
 どの頁にもダレンのことが書かれており、いかに二人の距離が近かったのかを思い知らされた。

『――ダレンが私への求婚を国王に掛け合っているらしい。そのような事をしても、私の気持ちは変わらないというのに……』

 ある日を境に、ダレンからの求婚についての記述が多くなった。
 そして、酷くインクが滲んでいる頁に辿り着いた。

『――ついに私は国王陛下と相談して、ダレンを王国魔導士団に所属させることにした。破門することなるが、ダレンの将来を想えばこうするしかない。あの子は天才で、私の後を継ぐ大魔導士になるべき人間なのだから、こうするしかないのだ』

 そこには大魔導士シンシアの決意と嘆きが綴られていた。
 読んでいると何故か、じんわりと目頭が熱くなる。

「……どうしてでしょう? こんなに涙があふれるなんて……」

 拭っても拭っても、涙は止まってくれなかった。
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