唇から始まる、恋の予感
給湯室で淹れたてのコーヒーを部長のマグカップに入れて、お礼のチョコが入った袋を持つ。

(大丈夫、出来るわ)

またここでも深呼吸して、緊張を抑える。心なしか手にも汗をかいて、震えているみたい。

「ふう……」

給湯室から部長のデスクに向かうと、部長はすでにパソコンを立ち上げていた。

「あの、部長」
「え?」

私がデスクの前に立ったの予想外だったのか、部長も立ち上がった。

「頂いたブドウ……とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「そうか、少し心配だったんだけど、良かった、安心したよ」
「甘くて、美味しかったです」
「良かった」
「あの……コーヒーをお入れしましたので、どうぞ」

デスクの上にカップを置いた。

「……ありがとう」
「あの、それと……よろしかったら召し上がってください」

紙袋をそっと置くと、部長は袋の持ち手を持っていた私の手を握った。
驚いてはっと部長の顔を見れば、優しく温かく、心配そうな目で私を見ていた。

「白石……」
「……はい」
「体調は? 大丈夫なのか?」
「はい、心配いりません」

部長の手は、男の人らしい大きくて少しごついけど、とても温かい。

「冷たいな」

部長は、握った私の手にもう片方の手を重ねて包んだ。私は手が冷たくて、冬はいつも小さなカイロを手に持ってパソコン作業をしている。指の動きが固くてタッチが遅くなってしまうほど、冷たいのが悩みでもある。

「……はい」

どうしようもないほど、切なくなるのはなんでだろう。
ここは会社だということを忘れそうで、私は部長から手を引いた。

「失礼します」
「……ありがとう」

まだ始業前でこのままデスクに戻ると、部長と二人では気まずくて、私は部署を出てトイレに向かった。
トイレの鏡で自分の顔を見ると、ほんのりと顔が赤い。

「顔が赤いじゃない」

赤くなった顔を見られてしまっただろうか。可愛くない上に、照れるなんて恥ずかしい。

「やだ、暑くなってきた」

身体まで火照ってきてしまい、首元を掴んでぱたぱたと風を送る。それでも頬の火照りは収まらず、冷たい水に手をさらして冷たくなった手を頬にあてると、ヒンヤリとして気持ちが良かった。緊張してドキドキしたけど、ちゃんとお礼は言えたからこれでまた接点はなくなる。それが寂しいと、懲りずにまた、いけない感情を抱いてしまった。
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