唇から始まる、恋の予感
「で、なんで車なんだ?」
「一か月離れ離れで、付き合うことになった白石と離れたい奴がいるのか? 大きなトランクもあるし、疲れてるし」
「大東部長可哀そう……」
素直な表現をする水越さんが見方だ。もう一押しで車も大丈夫だ。
「離れ離れで……今だって離れていたくないですよね? すっごく寂しかったと思いますよ? 白石さん」
「そう言ってたな」
「わかる~」
そうだ、その調子。
「……沙耶、空いてる社用車を大東に手配してやってくれ」
やっぱりな。これから五代を動かすときは水越さんを使えば、なんでも叶うな。
「畏まりました」
「じゃあな」
「おい、報告は? それをしに来たんじゃなかったのか?」
「そんなの資料作ってメール添付だよ。無事に帰って来た俺の顔の方が見たかっただろう?」
「……車を借りに来ただけか」
「じゃあな」
水越さんと社長室を出ると、すぐに車の手配をしてくれた。
「忙しいのに悪かったね」
「これくらい朝飯前ですよ。白石さんを大切にしてあげてくださいね。社内恋愛は大変ですから」
「ありがとう」
「お疲れさまでした」
「お疲れさま」
明るくポジティブに見える彼女も、五代と付き合うには神経を使っているのだろう。俺は水越さんが言った言葉を重く受け止めた。
時間がなかなか取れない俺に、文句も言わずに隣にいてくれる白石にやってあげられることは、やりたいことリストに書かれていたことを、させてやることだった。
最初の一行に「海に行くこと」と書かれていたのを鮮明に覚えている。
真冬の海に誘うのはどうかと思ったけど、思いほのか喜んでくれた。
車で彼女のマンションに迎えに行くと、エントランスで立って待っていた。
「連絡するまで家の中にいたら良かっただろう」
「お待たせするわけには行きませんので」
「白石、俺は上司じゃなくて彼氏だけど?」
「あ……」
まだまだ上下関係から抜け出せない白石だけど、ゆっくりでいい、ゆっくりと本当の自分を取り戻してもらいたいと願う。
海はサーファーがいて、地元の住民らしき人が犬の散歩をしていた。海風は冷たいけれど、波の音が忙しく働く俺たちを癒す。
「もっとこっちにおいで、寒いから」
「はい」
距離を取りたがる白石を傍に来させるのは大変だ。見てわかるほど照れているのが分かっていじらしい。
「お弁当を作ろうとしたんですけど、冬の海じゃ冷えてしまって美味しくないかなって。また今度にしました」
「そっか、楽しみにしてるよ」
「海が見えるカフェもあるし、いいですよね」
「いいよ」
白石が悲しくなくて、苦しまなければ俺はどこでもいい。君が俺の隣にいて、何もしなくてもこうして二人並んで、同じ方向を向いていければそれだけで満足だ。
俺の答えにめまいがしそうな微笑みで彼女が返すけど、それに俺が参ってしまうのをわかっているのだろうか。
今日も彼女は綺麗だ。淡い色のセーターが海に映えて輝いている。
どんどん綺麗になっていく彼女をどうにかして止めたいけれど、そのスピードを遅くすることしか出来ないから本当にもどかしい。
「通勤電車でもいつも下を向いていて、車窓からの景色を見ることがなかったんです。でもふと車窓の景色を見ると、富士山が見えたんです。入社してから同じ時間の電車に乗って出勤していたのに、まったく気が付きませんでした。どれだけ私は下を向いて生きてきたんだろうって」
「……」
「あ~冷たくて気持ちいい」
そんな抱きしめたくなるようなことを言って、目を閉じた彼女は、念願の海に来ることが出来て嬉しいのだろう。全身で冷たい海風を浴びて気持ちがいいと言って、微笑んでいる。
その彼女の横顔が幸せそうで、ずっと幸せが彼女を包んでくれますようにと願いながら、俺はキスをした。
END
★最後までご愛読いただきありがとうございました。
「一か月離れ離れで、付き合うことになった白石と離れたい奴がいるのか? 大きなトランクもあるし、疲れてるし」
「大東部長可哀そう……」
素直な表現をする水越さんが見方だ。もう一押しで車も大丈夫だ。
「離れ離れで……今だって離れていたくないですよね? すっごく寂しかったと思いますよ? 白石さん」
「そう言ってたな」
「わかる~」
そうだ、その調子。
「……沙耶、空いてる社用車を大東に手配してやってくれ」
やっぱりな。これから五代を動かすときは水越さんを使えば、なんでも叶うな。
「畏まりました」
「じゃあな」
「おい、報告は? それをしに来たんじゃなかったのか?」
「そんなの資料作ってメール添付だよ。無事に帰って来た俺の顔の方が見たかっただろう?」
「……車を借りに来ただけか」
「じゃあな」
水越さんと社長室を出ると、すぐに車の手配をしてくれた。
「忙しいのに悪かったね」
「これくらい朝飯前ですよ。白石さんを大切にしてあげてくださいね。社内恋愛は大変ですから」
「ありがとう」
「お疲れさまでした」
「お疲れさま」
明るくポジティブに見える彼女も、五代と付き合うには神経を使っているのだろう。俺は水越さんが言った言葉を重く受け止めた。
時間がなかなか取れない俺に、文句も言わずに隣にいてくれる白石にやってあげられることは、やりたいことリストに書かれていたことを、させてやることだった。
最初の一行に「海に行くこと」と書かれていたのを鮮明に覚えている。
真冬の海に誘うのはどうかと思ったけど、思いほのか喜んでくれた。
車で彼女のマンションに迎えに行くと、エントランスで立って待っていた。
「連絡するまで家の中にいたら良かっただろう」
「お待たせするわけには行きませんので」
「白石、俺は上司じゃなくて彼氏だけど?」
「あ……」
まだまだ上下関係から抜け出せない白石だけど、ゆっくりでいい、ゆっくりと本当の自分を取り戻してもらいたいと願う。
海はサーファーがいて、地元の住民らしき人が犬の散歩をしていた。海風は冷たいけれど、波の音が忙しく働く俺たちを癒す。
「もっとこっちにおいで、寒いから」
「はい」
距離を取りたがる白石を傍に来させるのは大変だ。見てわかるほど照れているのが分かっていじらしい。
「お弁当を作ろうとしたんですけど、冬の海じゃ冷えてしまって美味しくないかなって。また今度にしました」
「そっか、楽しみにしてるよ」
「海が見えるカフェもあるし、いいですよね」
「いいよ」
白石が悲しくなくて、苦しまなければ俺はどこでもいい。君が俺の隣にいて、何もしなくてもこうして二人並んで、同じ方向を向いていければそれだけで満足だ。
俺の答えにめまいがしそうな微笑みで彼女が返すけど、それに俺が参ってしまうのをわかっているのだろうか。
今日も彼女は綺麗だ。淡い色のセーターが海に映えて輝いている。
どんどん綺麗になっていく彼女をどうにかして止めたいけれど、そのスピードを遅くすることしか出来ないから本当にもどかしい。
「通勤電車でもいつも下を向いていて、車窓からの景色を見ることがなかったんです。でもふと車窓の景色を見ると、富士山が見えたんです。入社してから同じ時間の電車に乗って出勤していたのに、まったく気が付きませんでした。どれだけ私は下を向いて生きてきたんだろうって」
「……」
「あ~冷たくて気持ちいい」
そんな抱きしめたくなるようなことを言って、目を閉じた彼女は、念願の海に来ることが出来て嬉しいのだろう。全身で冷たい海風を浴びて気持ちがいいと言って、微笑んでいる。
その彼女の横顔が幸せそうで、ずっと幸せが彼女を包んでくれますようにと願いながら、俺はキスをした。
END
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