唇から始まる、恋の予感
俺が高校生の時、母親が死んだ。末期のガンだった。
俺は、母親から何も知らされてなくて、言わなかったのは、大学受験を控えていた俺に、心配をかけさせたくなかったんだろう。
仕事人間だった父親は、母親の病気も気づかず、入院してからやっとガンの治療をしていたと知った。
それでも仕事を優先して見舞いもほとんど来ず、とうとう最後を迎えた。
それでも母親は父親に対して「幸せだった」と言い残し、息を引き取った。
父親はしばらく放心状態で仕事にも行けず、業務の緩い場所へと配置願いを申し出た。

「母さんが死んだ後で定時に帰って来たって遅いんだよ!」

反抗期はとうに終わっていた俺だったが、父親がどうしても許せず、東京の大学に進学して家を出た。
それから、お盆と命日くらいしか実家に帰らず、海外に転勤になってからは電話で連絡をするくらいだった。

「怖かったんだ、母さんがいなくなることが受け止められなかった」

葬式の時に父親がぼそりと言った言葉が、耳に残っている。

「五代……仕事よりも大切なものがあるんだよ。奥さんが生活に困らず、健康で、笑顔で生きててくれれば……俺より先に死ななければ……それが俺の望みなんだ」
「……」
「ああ、いや悪い……なんかしんみりさせちゃったな」
「いや……彼女、白石さんは綺麗な女性だけど、どこか儚げで、消えてしまいそうな雰囲気を持っているな」

そうか……。再会できる嬉しさもあったが、どこか怖くもあった。五代がいうように、空気のように当たり前のようにそこにいるけど、消えても分からない存在感のなさがあった。
何か分からないけど、白石に対して焦ってしまう理由は、それなのかもしれない。



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