唇から始まる、恋の予感
「いつになったら涼しくなるんだろうな。四季が美しい日本だけど、秋がなくなっているみたいだ」
「はい」

金曜日のことを何も切り出さない部長は、私がしてしまったことを気にしてないのかな? それとも、私に気を使ってわざと話さないようにしているのかもしれない。

「ここで食べていたら暑いだろう? もう少し涼しくなったら気持ちい場所だが、今はそうでもないだろう?」
「はい」

歓迎会のことをいつ切り出されるかという恐怖。部長よりも前に謝らなくちゃというプレッシャー。
日陰とはいっても暑くて首筋には汗がつたう。部長に対して、申し訳ない気持ちは消えないのだから、早く終わらせた方がいい。

「残暑とは言えない暑さだな」
「はい」
「食べないのか?」
「あ……」

何事も気にしすぎる性格の私は、身体を使っていないのにすぐに疲れてしまう。金曜から週末にかけて、まともな食事をしていなかった。今朝も食べられず昼にやっと食べられると思っていたけれど、人と一緒に食べられないという問題。強制的な断食状態でふらふらだ。
だから勇気をだして私から謝ってこの場を離れよう。そしていつもの場所に戻ってお弁当を食べよう。

「部長」
「ん? なんだ?」
「あの……すみませんでした」
「……」
「それだけお伝えしたくて。お先に失礼します」

言えた。少し心の荷が下りた感じがする。

「白石」
「・・・はい」
「強引に行ってしまって悪かったな。どうしても白石と話がしたい気持ちを抑えられなかったんだ。俺こそ悪かった」
「いいえ」
「少しの時間でいいんだ、無理は言わないけど、こうして少しだけでも話が出来ないかな?」

私みたいな女と何を話たいのだろうか。気の利いた話題もないし、ずっとうつ向いて話をきいているだけのつまらない女なのに。

「……」
「……話が出来る機会が出来たらいいな……」

答えに困っている私に、向けた部長の優しさだろう。だけど、どうして、どうして私に接してくるのだろう。
アメリカに転勤する前は、仕事以外のことを話したことがあっただろうか。

「……すみませんでした」
「白石」
「はい」
「これは業務命令だが、医務室に行くように。報告書も提出しなければならないから」
「分かりました。ご迷惑をおかけしました」

嫌なことを後回しにしてまた、部長に迷惑をかけていた。自分のわがままで、迷惑をかけてしまう。
私は昼を取らずに、医務室に向かった。


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