唇から始まる、恋の予感
「もう笑わない」
その時から私は絶対に笑わないと誓った。
部長はいつ私のそんな顔を見たのだろう。会社でおもしろいことなんか何一つないのに、笑ったなんて。絶対に見間違えだ。
ジョーカーのような顔、笑い顔を見たって恐怖でしかないはずなのに、気が緩んでいたに違いない。
「私の……」
「ん?」
「本当の私の何を知ってるんですか?」
「白石?」
「笑い顔? こんな醜い顔で笑ったって、妖怪か殺人鬼にしか見えないですよね!」
何かが切れてしまったのか、自分でも分からなくなっていた。部長は悪くない、悪くないのに攻撃が止まらない。
「白石、落ち着いて」
「だって、部長にはもっとすてきな人が周りにいるじゃないですか。私には構わないでください!」
「少し座ろうか?」
「いや離して! 私は、私は・・・はあ、はあ」
「白石、興奮しちゃいけない。ゆっくりと呼吸をしなさい、深呼吸だ」
「離してください!」
「落ち着こう。な?」
「笑顔、笑顔、笑顔。こんなクレーターみたいなえくぼなんか取るし、ジョーカーみたいな口だって、下げるんだから、たらこのような厚い唇は薄くて綺麗にして!・・私は顔を全部整形して作り変えるんだから!はっはっ……」
パニックだった。
自分でもこんなに興奮するんだと驚いている。そんな冷静さも頭にはあるのに、小さな火種だったことが、部長の一言が引き金になって、爆発してしまった。
「白石!!」
今、何がどうしてどうなっているのかさえ分からなくなっていた。そんな私を落ち着かせようと思ったのか、部長は私を抱きしめた。それがとても心地よくて、初めて感じる他人の温もり。
「ゆっくりだ、ゆっくりと呼吸してごらん」
背中をさする部長の手が優しすぎて、私はその温もりを感じながら気を失っていた。