唇から始まる、恋の予感
「さ、乗って」

エスコートされて助手席に座ると、静かにドアが閉まった。
部長が運転席に乗り込むと、ペットボトルのふたを開けて水を手渡してくれた。

「すみません」
「住所を教えてもらってもいいかな?」
「はい」

私の言った住所をナビに設定して、車はゆっくりと走り出した。

「信号で止まるとき気分悪くならないかな?」

身体を気遣って運転してくれているのは、運転をしない私でも分かる。

「大丈夫です」
「良かった」

信号で止まる度に私の方を見て気遣ってくれるけど、車の運転で酔うのではなく、おなかが空きすぎて吐きそうになっていた。そっと車の窓を開けて、外の空気を吸った。

「少し、休憩しようか?」
「はい」

窓を開け、何度も水を飲む私を見て、休憩しようと思ったようだ。車は公園の駐車場に入って行き、正面には小さな噴水が見えた。
お腹が空きすぎて水でごまかしていたのが良くなかったのか、お腹が張った感じで気分が悪かった。休憩で止まってくれたのはありがたかった。

「水の傍だと少し涼しいな」

噴水の前のベンチに腰掛け、年寄り夫婦のように二人で噴水を眺めた。
部長に気づかれないように、小さく深呼吸を何回かしたら、少し車酔いも醒めてきた。
そして、気の利く会話はいっさい出来ない私は、自分から何か話題をふることも出来ないし、ただ聞いているしか出来ない。それでもいいのだろうか。

「毎回俺が白石の体調を悪くしてしまって悪い」
「……」
「でも、言ったことは嘘じゃないんだ。ゆっくりでいい、ゆっくりでいいから俺のことを考えてみてくれないかな?」
「……」
「こうして少しの時間一緒にいてくれるだけでもいいんだ。多くは望まないよ、ただ隣にいてくれるだけでいいんだ」

不思議と嫌悪感は全くなかった。
その理由は自分でも分からないけど、でもなぜか胸が痛くて苦しかった。





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