唇から始まる、恋の予感
「どうした? 胸が痛いのか?」
胸元を押さえていたからか、とても心配そうに聞いてきた。私は普通にしていても人に心配させるような人間なのだろうか。
「いいえ、違います。すみません」
「……車酔いは大丈夫か?」
「え……?」
「気分が悪そうだったろ? 運転は慎重な方なんだけど、酔ってしまったかな? 悪かったね」
「いいえ……そうじゃなくて……」
お腹が空いているからなんて言ったら、また気を使わせてしまうし、食べている所は見て欲しくないし、でも、私の家まではまだかかりそうだし、乗って気分が悪くなったら、また休憩をお願いしなくちゃいけないし、うじうじ考えて自分でもイライラする。
「あの……」
「ん? どうした?」
「あの……ここで失礼します。気分も悪くありませんし、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
そうよ、帰ると言えばいいんだ、これが一番いい方法だ。ここから帰れば途中で何か食べられるし、部長に気を遣わせてしまうこともない。
「え!? いや、ここで帰すわけには行かないぞ。暗くて人通りもないのに、危なすぎる」
「大丈夫です。駅だって近いはずですから」
駅がなければないで、歩けばどこかの駅に着くはずで、そんなことは何とかなる。
「白石、それは出来ないよ。送ると言って車に乗せたのは俺なんだし、それは出来ない」
「いいんです。大丈夫です! 帰ります」
いけない、また声を荒げてしまった。
「ごめん、白石、落ち着いて」
「大丈夫です。私大丈夫ですから」
自分でもイライラする。お腹が空いているからだと言えばすむ話なのに、うじうじとして子供がだだをこねるかのように帰るの一点張り。
分かっているけど、受け身で生きてきた私にとって、自分の主張を言うことがどれだけ勇気がいって、ハードルが高いことなのかよく分かっている。