唇から始まる、恋の予感
少しだけ不安になりながらも、いつも通りに出勤した。
私のやることは毎日決まっていて、それが当たり前になっていた。
早朝に出勤してデスクを掃除し、お茶の準備をする。
満員電車に揺られることもなく、座って通勤できる楽さを知ってしまったら、もう普通の時間にはもどれない。

「今日だけ特別に」

自分と共有スペース以外の掃除はしないけど、日本に戻っての初日だから、部長のデスクも拭き掃除をした。
金曜日の業務後にデスクなどが運び込まれ、着任者を出迎える準備は整っていた。
大きな窓から景色が見え、陽当たりのいい特等席。本人の希望が取り入れられ、事業部の中心ではなく、端に部長席がもうけられた。

「これでいいかな」

いつもの時間より少し押してしまったけれど、コーヒーを一杯飲む時間はある。
少し急いでいつものリフレッシュコーナーに向かった。

「今日も暑くなりそう」

連日の天気予報は残暑厳しく、まだ熱中症の注意喚起をしていた。暑さに弱い私は、本当にこの夏の暑さは辛かった。自宅から駅までは歩ける距離だけど、夏の間は辛すぎて駅まで自転車を利用しているくらいだ。

「速く涼しくならないかな」
「まだまだ暑さは続くようだよ。……おはよう、今も変わらずここにいるんだな」

背中に聞こえる声。厳しくも優しく指導してくれていたあの人の声だ。
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