唇から始まる、恋の予感
「何度でもチャレンジするのが俺なんだけど、君には少し臆病になってる。でも……」

なんだろう。少し躊躇っているけど、私が気を使わせてしまっているんだろうな。水越さんと話していたようなざっくばらんで、気さくな感じには出来ないんだろう。

「仕事終わりに食……いや、お茶をどうかと思って」

仕事終わりにお茶なんて、少しおかしい。食事を拒み続ける私に出した、苦肉の策なのだろう。私みたいな女に、部長の優しさは勿体ない。

「笑った? 今、笑ったね」

いけない、笑ったらあの凶器に満ちたジョーカーになる。最近の私は、感情の起伏が激しくなっている。笑うなんてなかったことなのに、気が緩んでいたみたいでなんてまぬけなの。
あのときの言葉が頭の中で蘇った。
ジョーカーみたい、ジョーカーみたい。怖い、怖い。

「あ……はっ……はっ」

言われた時の声が蘇り、過呼吸が私を襲う。また部長に迷惑がかかってしまうのだから、普通に息をしなさい、と言い聞かせても、呼吸は言うことを聞いてくれない。でも今ならまだ自分の足で歩いて行ける。私は急いで部長の傍を離れた。

「白石」
「……!」

部長に背中から抱きしめられた。

「大丈夫。俺がそばにいるから、何があってもいいから」

部長は私を振り向かせて、また抱きしめた。

「俺の言葉だけ、俺の言うことは信じてくれないかな。絶対に嘘は言わないから」
「はっ……はっ……」
「ゆっくりだ、ゆっくりと呼吸して。そうだ、上手だ、ゆっくりと深呼吸をしてごらん」

部長の言うとおりに呼吸をすると、少し楽になってきた。

「そうだ、いいよ」

背中をトントンと優しく叩かれて、それがとても心地いい。身体から力が抜けて行くのが分かる。まともじゃない私は、なにも満足に出来ない。こんな私にどうして部長は好きだと言ったのだろう。

「……すみません……」

何もかも、色々なことを含めてのすみませんだった。
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