唇から始まる、恋の予感
この夜の私は、初めて感じる胸の痛みを抱えて、眠れなかった。
傷つけられた時の痛みは、全身の血の気が引くような身体から寒々しい感じが全身を覆っていたけれど、でもこの胸の痛みはそれとは全く違う、引き裂かれるような痛みだった。
自分で決めたこととはいっても、経験のない私はここまで辛く痛いものだと思わなかった。
帰宅しても食欲がわかず、ベッドに入っても眠れなかった。
夜は物悲しく、天井を見つめるだけで涙が出てきた。私より部長の方が傷ついていると思うし、寄り添ってくれた人を気づけたのは私だ。被害者ぶっているけれど、なんていう女なのだろう。
でも今の私にはこうするしか出来なかった。

「部長……」

自分の唇をそっとなぞってみる。意識して触ったことなんかないし、大嫌いな部分だった。
初めてのキスはとても悲しかったけれど、温かくもあった。

『君は美しい』

そう言ってくれた部長の言葉が忘れられない。
私が美しい?
信じてほしいと言った部長のこの言葉。確かに私は信じると返したけれど、どこが美しいのだろうか。

「ダメだわ、部屋を暗くしていたら部長のことばかりを考えてしまって眠れない」

枕元のスタンドの灯りを付けて、身体を起こして深いため息がでる。身体を酷使したわけじゃないのに、ものすごく疲れているのは頭の使いすぎだと思う。考えたことがない異性との関係や恋愛感情といった複雑なものを処理するだけで、私には十分な労力だった。
今日はきっと眠れないような気がする。
だけどそれだけじゃなくて、気が付けば私はずっと泣いていた。まるで被害者かのように泣いているけれど、自分勝手もはなはだしい。自分をコントロールするのは得意だったはずなのに、頭で分かっていても心がいうことを聞かないなんてことは、経験がなくてどうしていいかわからない。優しい部長は私になんかに勿体ないと思うのは本当だけど、少なからずいじめの原因となったこと、告白が恐怖であることも理由の一つだった。

< 82 / 134 >

この作品をシェア

pagetop