唇から始まる、恋の予感
榊は入社した時から目標が高く、昇進をのぞまない今時の新入社員のなかでも、管理職を目指しているとはっきり言った女だった。
気は強く、自己主張も強い。言いたいことははっきりと言うが、仕事の成果を残していることで、何も言えなくなる。
その榊が俺を好きだと言った。気の強さは告白まで現れていて、圧倒されそうになった。

「悪いが、俺には好きな人がいる。だから君の気持ちは受け取れない」

気持ちは嬉しいがと一言付け加えようと思ったが、彼女にはストレートに言うべきだと判断して、少しの気持ちがないことを伝えた。

「お付き合いしている訳じゃないんですよね」
「そうだが」
「じゃあ、私にもまだチャンスはあります。すぐに付き合ってとは言いません。私を見て好きになってください」
「悪いけど、そんなに簡単に気持ちは切り替えられない」
「待ってます」
「冷たいようだけど、待たれても困るんだ」

俺は榊に言いながら、本当に冷たいなと思った。告白をするのに勇気がいることは誰よりも俺が分かっていて、榊だって、告白するまでにどうしようかと悩んだはずだ。白石が完全に俺の中から消えたとしても、好きになる女のタイプとして榊は対象外なんだ。断ることも優しさだと強く言ってしまった。

「悪いな」

最後は何も返してこなかった。一人残してデスクに戻ったけれど、大丈夫だっただろうか。それだけは少し気になった。
白石に断ったことを伝えたいけど、もうその必要はなくなったんだ。
ふて寝を決め込みベッドにはいると、白石の最後の顔が思い出された。
大きく綺麗な目に長いまつ毛、瞳は濡れたように黑く、柔らかく温かい唇。程よく厚みがあり、引き寄せられた。

「想像するな!」

目をつぶれば思い出される白石とのキス。思春期に戻ったようにドキドキする。

「でも、なぜキスを受けたんだろう」

疑問、未練、期待が複雑に入り混じって眠れず、睡魔に襲われたのは明け方近くだった。


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