神様、俺は妻が心配でならんのです
 今、起きている夢のような幸福の時間を、手放すための大きな痛みが行く先に大きく立ちはだかる。

 はじめから決めていたことじゃないか。

 なのに、――どうしてこんなにも悲しいのか。

(愛して、いたからか)

 自分の心が、正しくそう答えてくる。

「……この嘘を突き通すことは、やはりできない、よな」

 本音が、仲村渠の唇の上を滑って落ちていった。

 後悔した。罪を償いたかった。一緒に、いたい――さらに熱く込み上げた涙を、仲村渠はどうにか喉の奥へと引き戻す。

「難しいでしょうなぁ」

 断言しない優しさで、そう言って小さく首を横に振るミムラの気配を、仲村渠は落とした視線の向こうに感じた。

 彼は、深呼吸した。拳を握って、二人の視線を今度はきちんと受けとめた。

「決意は変わりません。俺は、妻を助けてくれる人を探して、ここまで来ました。どうか、お知恵をお貸しください」

 仲村渠は、二人に向けて頭を下げた。

 東風平が組んだ腕をといて「いいのですか?」と問う。

「私は、夢を終わらせるための答えしか、与えられない」
「はい。それでいいのです」

 顔を上げた仲村渠は、力強く答えた。

「深い感謝を覚えるほどに、俺は、いえ私はもう十分に幸福でしたから」
「……そうですか。ではお教えします、一度しか言いませんから、よく聞いてください――……」

 そう言って、東風平はその方法について話し始めた。

 説明は簡潔で、決して、仲村渠にも難しいものではなかった。

             七

 陽が茜色へと色彩を落とし始めた頃、仲村渠は帰宅した。

 家に入るまで、人の気配はまるでなかった。

 だが玄関を開けた途端に、手料理の匂いが鼻をかすめた。野菜スープを仕込んでいる湯気の暖かな香りもしてくる。

(幻のような、現実――)

 仲村渠は、台所に妻が立っている光景を想像しながら、リビングへと向かった。

 そこには傾いた日差しが差し込んでいた。南風に吹かれたカーテンが、食卓のある部屋で大きくはためいている。
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