神様、俺は妻が心配でならんのです
 捨ててしまいたいが、けれど徳があるというのなら無暗に捨ててしまってはいけないような気がしたのだ。

 これがシーサーの形をしていなければ、きっとすぐに捨ててしまっていたに違いない。

 実に憎たらしいが、それでも仲村渠は沖縄県民としての信心まで捨てきれないのだ。

 立派に定年退職までつとめ、しっかり老後の貯金まで用意して老後の生活を迎えた仲村渠の穏やかな一日は、洗面所を済ませたのちに珈琲の香りから始まる。

 その日も、顔を洗ってあとに漂ってきた匂いにつられるようにして移動した。

 リビングに足を踏み入れた途端、生暖かい風が彼の頬を柔らかく打った。彼は眩い光りに溢れる室内の光景に、しばし佇んだ。

 全開にされた窓からは、陽気な六月初旬の明るい日差しと暖かい風が舞い込んでいる。まとめられていないカーテンが自由きままに風に膨らみ、光りの波を奏でていた。

 新聞紙はきちんとすでに食卓の上に準備され、飛ばされてしまわないよう茶菓子の入った容器に踏まれている。

(ああ――)

 なんて感慨深い思いに包まれ、彼はしばし立ち止まり続ける。

 ほんの少し前までは普通にあって、そして一時、彼の世界からなくなってしまっていた〝日常〟だったから。
< 14 / 120 >

この作品をシェア

pagetop