俺様御曹司からは逃げられません!
 食事を終えて店を出たら黒塗りの高級車が目の前に止まっていて、その傍で壮年の男性が後部座席のドアを開けて待ち構えていた。
 何これドラマかな?と唖然とする楓を他所に、絢人は躊躇なく高級車に乗り込んでいく。
 
 挙句、楓に向かって「早く乗れ」とガンを飛ばしてくるので、楓もビクビクしながら後部座席に乗り込んだ。

「先にコイツを送ってやってくれ。楓、家の住所は?」

 絢人はドアを開けてくれていた運転手の男性にそう指示をした。
 どうやら家まで送ってくれるらしい。 至れり尽くせりで申し訳ない。

 辿々しく自宅の住所を述べると、「かしこまりました、お嬢様」と運転手がバックミラー越しに柔和な笑みを浮かべた。
 お嬢様だなんて生まれて初めて言われた楓は、ついドギマギしてしまう。が、お礼を言うべき相手が隣に座っていることをすぐさま思い出した。

「何から何まですみません、絢人さん……ご飯も奢っていただいて……」

 結局、食事代も絢人に出してもらうことになってしまったのだ。
 楓も財布を出したのだが、「女に払わせるわけないだろ」と昭和的価値観を掲げてすげなく断られてしまったのでどうしようもなかった。
 
 だからせめてお礼でもと思って楓は深々と頭を下げる。
 だが絢人は微妙そうな顔で楓を見つめ、はぁ〜と額に手を当てて深いため息をついた。

「え、な、なんですか……?」
「いや、なんでも。それより奢ってもらった分を返そうとか思ってないだろうな?もう路上で待ち伏せするんじゃないぞ」
「さすがに、絢人さんがそれを望んでいないことくらいは分かりますよ。ありがたくご馳走になります」

 楓は苦笑して、またぺこりと小さく頭を下げた。
 同時に胸の中にツキンと鋭い痛みが走る。
 これでもう、絢人と繋がる糸が断ち切られてしまう。
 
 こんなに切ない気持ちになるのは、この二時間あまりで知った、彼の気さくな態度と飾らない笑顔に惹かれてしまっていたから。
 もっと傍にいたいと、身の程知らずにも手を伸ばしてしまいそうになる。
 
 だが所詮楓は絢人が気まぐれに餌付けした野良犬にすぎない。場違いな野良犬がその場に留まろうとしても、追い払われるのは目に見えている。

(大丈夫、きっと一ヶ月もすれば忘れる)

 幸いにも、胸に宿るこの感情にまだ名前は付けていない。このまま見て見ぬふりをしていたら、きっと跡形もなく消え去ってくれるはず。
 だから楓は気丈に笑顔を貼り付けた。
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