俺様御曹司からは逃げられません!
 楓が呆気にとられて立ち尽くしていると、「さあ、お支度いたしましょう」と美容部員らしき女性がずずいと近寄ってくる。笑顔だが、圧が強い。
 あっさり押し負けた楓は恐る恐る、いかにも高そうなワンピースを手に取ってみるのだった。

(まるで自分じゃないみたい……)

 楓は一人、全面窓に反射した己の姿を見て、そう思わざるを得なかった。
 先ほどまで着ていたニットとジーンズを脱ぎ去り、清楚な黒のドレスワンピースを身につけた姿は普段とはまるで違う。
 
 Iラインシルエットのこのドレスは、デコルテと袖部分がドット柄のチュール生地になっている。上品でありながらも可愛らしく、一目見た瞬間に気に入って選んだものだ。ただ、今思うと少し背伸びをしてしまったような気もする。
 
 ドレスに合わせて普段は履かないハイヒールを履き、勧められるがままガーターストッキングにも初挑戦した。プロのスタイリストにメイクも施され、楓はすさまじい変貌を遂げていた。
 
 そんな自分を落ち着かない気持ちで眺め回していると、不意にガチャリと扉が開く音がした。

 パッと入口を振り返れば、そこには楓と同じくドレスアップした絢人が立っていた。
 
 シャドウストライプが入った濃紺のスーツを身につけた彼は凄まじい男前ぶりを発揮していて、楓は頬を朱に染めてその姿に見惚れてしまう。
 彼は堂々たる脚さばきで楓の側まで行き、着飾った楓を満足げに見下ろしている。

「準備はできたみたいだな。十八時からここのフレンチを予約してある」
「あの、ありがとうございます。こんなに素敵なお洋服まで……」
「ああ、よく似合ってる。すごく綺麗だ」

 優しく抱き寄せられ、甘さを含んだ声でそう囁かれる。
 
 てっきり馬子にも衣装と揶揄われるかと思っていたのに手放しで褒められ、楓の体温が急激に上昇していく。
 彼の声はまるで麻薬のようだった。体内に入り込んで、楓を酩酊させる。
 
 絢人の腕にゆるく包まれながら、楓は戸惑いがちに彼の顔を見上げた。
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