俺様御曹司からは逃げられません!
(え……?私、今日どうやって帰ればいいの?)

 一文なしでは電車も乗れない。それに鍵がなければ家にも入れない。
 
 今日の楓のシフトは遅番。
 同じ遅番だった同僚と一緒に退勤したため、職場に戻ったところで誰もいない。当然、お金を貸してもらうことなど不可能である。
 
 職場のビルの守衛さんに事情を説明したら、融通を利かせてもらえたりしないだろうか。しかし、身分を証明するための社員証もないため、信じてもらえない可能性も大いにある。
 
 状況は明らかに詰んでいる。
 顔面蒼白になって黙りこくっていると、目の前のイケメン男性が訝しげに眉根を寄せた。

「なんだ?どこか痛むのか?」
「い、いえ……それは大丈夫なんですけど……ただ、帰る手段がなくて……」

 あまりにも動揺しすぎて、思っていたことがつい口を衝いて出てしまう。楓はハッとして口元を押さえたが、口から出た言葉はもう戻らない。

 これではまるで、たかっているのと同じだ。
 初対面の、しかも自分を助けてくれた人に頼むようなことではなく、楓は己の言動を恥入り、すかさず訂正しようとした。
 
 だが彼は腕組みをして「それもそうか」と呟き、再び背後に控えるお付きの男性に何やら命令をし始める。
 お付きの人はそのまま踵を返すと、人混みに紛れて去ってしまった。
 
 五分ほどするとお付きの人が戻ってきた。手には長形封筒を持っていて、イケメンにそれを差し出している。
 下部に青のラインが入った白の封筒はなんだか見覚えがあった。

「ほら。これくらいあればなんとかなるだろ」

 件の封筒がイケメンを経由して楓に手渡される。
 
 封筒には「二見銀行」の文字が印字されていた。
 
 二見銀行は二見財閥が経営するメガバンクだ。職場のメインバンクも二見銀行で、よく事務室に封筒が転がっている。既視感があったのはそのためだ。
 
 そして反射的に受け取ってしまったが、二見銀行の封筒ということは、中身はほぼほぼ間違いなく現金である。おいそれと受け取っていいものではない。
 
 しかも思いのほか封筒が分厚い。
 ギョッとした楓は慌てふためいて封筒を突き返した。
 
「こんなの受け取れません!」
「はした金だから気にするな。もうすぐ警察も来るだろう。じゃあな」
「あっ、ちょっと!待ってください!」

 封筒は押し戻され、イケメンはお付きを従えて颯爽と楓の横を通り過ぎていってしまう。
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