俺様御曹司からは逃げられません!
 軽快な着信音が甘美な空気を一刀両断するように、二人の間に割って入ってくる。
 楓は驚き固まり、顔を上げて絢人を窺い見た。この着信音は楓のスマートフォンのものではない。
 
 水を差される形になった絢人はチッと不機嫌そうに舌打ちすると、ソファの前のローテーブルに置かれたスマートフォンを思い切り睨みつけた。その間も着信が止む気配はない。

「少し待ってろ」

 楓の頬に軽くキスを落とした絢人は、ソファから立ち上がるとスマートフォンを手にリビングを後にする。
 
 すっかりその気にさせられてしまっていた楓は拍子抜けして、体内で熾火を燻らせながら絢人が戻ってくるのをジッと待った。

「はあ?!見合い?!俺は何も聞いてないぞ!勝手に進めちゃいないだろうな?」

 突如廊下から聞こえてきた怒号に楓はビクリと身をすくませた。
 声は当たり前だが間違いなく絢人のもので、電話口で揉めているようだった。
 
 が、それよりも聞こえてきたその内容に楓は目を丸くした。

(見合い……?絢人さんがお見合いするってこと?)

 胸にスッと冷たい風が吹き抜ける。先程まで熱いくらいだったはずなのに、指先は凍ってしまったかのように冷たくなった。

 絢人が見合いをするとなれば、楓との関係は清算されなければいけない。
 
 いつか身を引く時が来るだろうと思ってはいたが、まさかこんなにも早いとは。
 心の準備ができていないどころか、どんどん彼への恋慕が増長していっているというのに。
 
 困惑する楓の耳に、さらに信じがたい言葉が飛んでくる。

「……結婚したい相手ならもういる……ああ……」

 トーンダウンした絢人の声は扉で隔てられているせいでくぐもっているが、聞きたくない言葉だけははっきりと聞こえてきた。
 
 楓は頭が真っ白になって愕然とした。
 自然と呼吸が浅くなって、視線が動揺を示すようにあちこちと揺れ動く。

(結婚したい人って……恋人がいるの……?)

 青天の霹靂だった。
 誰にも迷惑をかけないのなら、この身の程知らずの恋も今だけは許されると思っていたのに、手酷く裏切られた気分だ。
 
 そして次の瞬間、楓の頭が怒りで沸き立った。
 それは楓を弄んでいた絢人に対してではなく、迂闊な己に対しての怒りだった
 
 どうしてきちんと彼に確かめなかったのだろう。
 遊びの女だと面と向かって言われるのが辛くて、彼に恋人の存在を聞かなかった自分の愚かしさを今更になって後悔する。
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